由緒:
当神社は古来大阪市の船場、愛日、中之島、土佐堀、江戸堀、京町堀、靱、阿波堀、阿波座、薩摩掘及び立売掘、長堀の西部南北堀江の西部等旧攝津国津村郷の産土神として、旧摂津国津村郷の産土神と坐し、信仰の中心として親しまれてきました。
その地昔は海辺で円江といって円形の入江をなしており、その口に瀬織津比売神、地主の神である津布良神を奉祀して円神祠と云ったのが始まりです。
御神威高く上古天皇御即位の大嘗祭につづく八十島祭に預りました。後に村をなし、津村と称します。
豊臣秀吉大阪居城と共に政治経済の中心として発展し、諸大名が来訪され、什器の寄進が相次いだといいます。
津和野藩主亀井茲矩の寄進により、文禄三年境内の小祠乾八幡官と源正霊神とを本殿に合祀し御霊神社と改称しました。
元禄年間には後桃園帝、御霊大明神と御贈号されたといいます。
明治6年郷社に昇格、大正2年、府社となり、大正15年には境内の文楽座から出火、昭和5年には本殿建て替えが竣工しましたが、昭和20年には戦火により全焼しました。
昭和32年12月、再興し、現在に至ります。