由緒:
当社は古事記で八岐大蛇を退治した素盞嗚尊を主祭神に、素盞嗚尊が助けた稲田姫命 、そしてその御子神である八王子を配神としています。
創建は社伝によると679年、天武天皇の治世であったとされています。
そしてその後唐から帰国遣唐使の吉備真備が素盞嗚命を播磨の広峯神社に勧請したと伝えられています。
古くは疫隈國社という名称で備後国風土記に記されていますが、その後、神仏習合によって仏教系の神・牛頭天王を祭神としていました。
別当寺が作られたり、本堂である天満宮(元本地堂)には聖観世音菩薩が祀られました。
ただ、牛頭天王の本地仏は本来薬師如来なので、どうして聖観世音菩薩が祀られているのかは今も不明とされています。
その頃は江熊祇園牛頭天王社、祇園社、天王社、などと呼ばれていましたが、明治時代に入り神仏分離の際、当社の別当僧は還俗し、神官となったので、本来の素盞嗚尊神社に名称を改めました。
また、境内の北側を通る旧山陽道に面した場所に、相方城遺構があり、江戸時代に当社の南西に聳えた城山から中門と北門が移築されました。
これは戦国時代最古級の城門とされ、平成になってからも補修などが施され、今も目にすることが出来ます。