由緒:
主祭神に天忍穂耳尊、天手力男命、天鈿女命を祀る当社のお堂には子供の無病息災を祈り産着やお供え物が奉納されています。
安産祈願や夫婦円満、延命長寿に開運祈願、そして五穀豊穣といった後利益があり、壱岐では一番古い神社とされ、長い歴史を持っています。
ですがその長い歴史の中で当社を一宮とするまでには紆余曲折がありました。
天手長男と言う社名の由来は、神功皇后の三韓征伐の際、宗像大社の神が御手長という旗竿に紅白2本の旗をつけ、これによって敵を翻弄したと言われ、そこから来ているとされています。
当社は江戸時代まで若宮とされており、後に国学者の橘三喜が名神大社の天手長男神社に比定しました。
しかし橘三喜の査定は地名に基づいていることが多く、同じく壱岐国一宮である興神社が天手長男神社であるとも言われています。
実際のところどちらの神社が天手長男神社なのか判断が付かず、それ故に一宮との確証は薄いとされていましたが、今では天手長比売神社、物部布都神社と合祀し、興神社と共に壱岐国一宮とされています。