由緒:
茨城県南東部、北浦と鹿島灘に挟まれた鹿島台地上に鎮座しております。
伊勢神宮・香取神宮とともに、明治維新前に「神宮」を名称に使用していた三社のうちの一社にあたります。
祭神の武甕槌神は、経津主神(香取神宮祭神)とともに天孫降臨に先立って国土を平定したとされる武神であります。
当社は、現在も宮中で行われている1月元旦の「四方拝」で遥拝される1社であり、
香取神宮とともに古代朝廷が東国を治めるにあたって蝦夷に対する前線基地として重要視されました。
両神宮とも古来より軍神としての性格が強く、武術の道場には「鹿島大明神」「香取大明神」と書かれた2軸の掛軸が対になって掲げられていることが多くあります。
国宝の直刀を所蔵するほか、境内は国の史跡に、本殿・拝殿・楼門など7棟が国の重要文化財に指定されております。
楼門は日本三大楼門の1つにも数えられ、そのほか、鹿を神の使いとすることでも知られております。