由緒:
『延喜式神名帳』に記載されている式内社「武蔵国多磨郡 小野神社」の論社の1つ。
論社には他に府中市の同名神社があります。
多摩川の氾濫にともない遷座を繰り返した結果2社になったとも、どちらかが本社でもう一方は分祠であるともいわれております。
また、当社は武蔵国の一宮とされました。
社殿、鳥居、隋神門、賽銭箱、神輿などに菊花紋章(十六菊の紋章)が取り付けられております。
後北条氏、太田道灌らの崇敬を受けて栄え、江戸時代には一宮大明神と称され、江戸幕府より朱印地15石を寄進されています。
1873年(明治6年)、郷社に列格いたしました。