由緒:
創建年は定かではありませんが、紀元前90年(崇神天皇7年)に神社の瑞垣の修造の記録があるため、この頃以前の創建といわれています。糺の森周辺の発掘調査で弥生時代の住居跡や土器がたくさん発掘されたこともあり、古くからこの地に祀られていたようです。また、天平の頃に上賀茂神社から分置されたという説もあります。
上賀茂神社とともに奈良時代以前から朝廷の崇敬を受け、平安遷都の後、807年には最高位の正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされました。
『延喜式神名帳』では「山城国愛宕郡 賀茂御祖神社二座」として名神大社に列し、名神・月次・相嘗・新嘗の各祭の幣帛に預ると記載されています。
また810年以降約400年にわたり、斎院が置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕しました。
このように平安時代には、国と首都京都の守り神として、また皇室の氏神さまとして、特別の信仰を受け、式年遷宮や斎王の制度などが定められた特別な神社であったといわれています。(※平安時代中期以降、21年毎に式年遷宮を行ってきましたが、本殿2棟が国宝に指定されたため、現在は一部を修復するのみとなっています。)
歴史の古い神社で、古くは山城国一宮、二十二社(上七社)の一社、明治初年、官幣大社として崇敬をあつめています。
賀茂別雷神社(上賀茂神社)と共に賀茂神社(賀茂社)と総称されます。