由緒:
神功皇后が海外外征の帰途、船が進まなくなったため神占を行ったところ、稚日女尊が現れ、「私は長狭国に居りたい」と言われたことから、この地に祀られたと伝えられます。
当初は、現在の新神戸駅の奥にある布引山に祀られていました。
799年の大洪水により、山全体が崩壊するおそれがあったため、村人の刀祢七太夫が祠から御神体を持ち帰り、現在地にある生田の森に移転したといわれています。
生田裔神八社として、神社を囲むように裔神八社があります。生田裔神八社は一宮神社~八宮神社と連番になっています。
<p><strong>生田裔神八社</strong></p>
<p><a href="/single/43779.html">生田神社</a>の裔神八社。港神戸守護神 厄除八社とも呼ばれています。</p>
<ul>
<li><a href="/single/119990.html">一宮神社</a></li>
<li><a href="/single/120275.html">二宮神社</a></li>
<li><a href="/single/120155.html">三宮神社</a></li>
<li><a href="/single/120411.html">四宮神社</a></li>
<li><a href="/single/45363.html">五宮神社</a></li>
<li><a href="/single/121573.html">六宮神社</a></li>
<li><a href="/single/45385.html">七宮神社</a></li>
<li><a href="/single/120303.html">八宮神社</a></li>
</ul>