由緒:
山口県下関市にある当社は、大阪、博多にある住吉大社とと併せて日本三大住吉と言われています。
1370年(応安3年)に建立された檜皮葺流造の本殿は1953年(昭和28年)国宝に認定されており、その他、拝殿や金銅牡丹唐草透唐鞍、吉社法楽百首和歌短冊といったものも重要文化財に指定されていることで有名です。
当社の祭神は一つではなく、本殿の第一殿に住吉三神が、第二殿に応神天皇が、第三殿に武内宿禰命が、第四殿に神功皇后が、第五殿に建御名方命が連なって祀られています。
起源は神功皇后が三韓征伐で新羅に向かった際、住吉三神が神託によりその渡海を守り、またその帰りに荒魂を穴門の山田邑に祀れと再度神託を行い、その場所に祠を建てたからと日本書紀、神功皇后紀に残されています。
そういった期限から海上交通や軍事の神として厚い崇敬を受けてきたので、延喜式神名帳では後に長門国一宮とされました。
戦国時代には一時衰微しましたが、大内氏、毛利氏の崇敬により復興が行われ、また、江戸時代には長州藩主毛利氏によって社殿の修復が行われました。
1871年(明治4年)に国幣小社とされたのち、1911年(明治44年)には官幣中社に昇格して今に至ります。