由緒:
福岡県久留米市瀬下町・筑後川東岸に鎮座する水天宮は、全国にある水天宮の総本宮です。
創建は建久初年(1190年)、主祭神に天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、安徳天皇、
高倉平中宮(たかくらたいらのちゅうぐう[建礼門院/平 徳子])、二位の尼(平 時子)を祀り、
水難除、海上安全、安産祈願、子どもの守護神、家内安全などの御利益で知られ、
国内のみならずハワイなど海外にも分霊社があります。
寿永4年(1185年)3月24日、壇ノ浦の戦の後、平家 高倉平中宮に仕えていた女官
按察使局(あぜちのつぼね)伊勢は、安徳天皇、高倉平中宮、二位の尼らとともに
入水するも難を逃れ、千歳川(現在は筑後川)周辺の鷺野ヶ原(さぎのがはら)に辿り着きます。
按察使局伊勢は剃髪し、名前を千代と改め、安徳天皇、高倉平中宮、二位の尼をはじめ、
平家一門の菩提を弔うために祠を建てます。これが水天宮のはじまりと言われています。
村人には加持祈祷(按察使局は奈良県の石上神社祠官の娘であったという説があります)を行い、
尼御前と呼ばれ慕われていました。
晩年、肥後国より平 知盛卿の孫(従四位少将/平 知時/四男 右忠 すけただ)を養子に迎え、
その後に千代が亡くなると、村人は祠を立て直し尼御前社と改め、墓の傍には松を植え、
その御霊を千代松明神と呼びました。
慶長年間(1311年〜1312年)に久留米市新町に、慶安3年(1650年)に
久留米藩第2代藩主有馬忠頼により現在地に鎮座します。
境内には、千代松神社、秋葉神社、水神社、肥前狛犬、山梔窩(くちなしのや)、
軍艦千歳慰霊碑、水天宮の第22代の宮司であり、明治維新の中心的指導者である
真木和泉守保臣を祀る真木神社、遺品遺墨が展示されている
真木和泉守記念館(拝観要事前予約)など。
神紋は椿紋、鳥居扁額は東郷平八郎による書です。
尼御前の墓(奥津城)は現在、久留米市内アサヒコーポレーション正門前にあり、
4月中旬には千代松明神墓前祭が行われます。