由緒:
当社は社伝によると孝昭天皇3年4月に創建されたとされています。
元々江戸時代中期まであった見沼という沼の畔にあったといい、見沼んの水神を祀っていたと考えられています。
現在の神池は、その見沼の名残とされています。
『延喜式神名帳』には名神大社に列しており、武蔵国の一宮または三宮とされ、崇敬を集めてきました。
明治以降は明治天皇により当社を武蔵国の鎮守・勅祭の社と定められました。また近代社格では官幣大社に列しています。
大宮の氷川神社・中川の中山神社(中氷川神社)・三室の氷川女体神社の三社は男体社・女体社・簸王子社として一体の氷川神社を形成していたとも言われています。
三社は浅間山と冬至の日の出の線上に一直線に並びます。
旧武蔵国足立郡(荒川流域)を中心に200社ほどある氷川神社の総本山とされています。
他の氷川神社と区別して大宮氷川神社とも呼ばれます。
埼玉県周辺の広域より広く崇敬をあつめ、初詣客の参拝者数は全国10位以内に数えられ、連年200万人以上もの人が参拝しています。