由緒:
当社は和歌山県内でも非常に歴史の古い神社で、もともと少彦名命と大己貴命の祠が加太の沖合いにある友ヶ島のうちの神島(淡島)に祀られたことが起源だとされています。
神功皇后が三韓出兵の際、瀬戸の海上での突然の嵐に見舞われました。
船中で祈りを捧げると、
「船の苫を海に投げ、その流れのままに船を進めるように」
とのお告げがあり友ヶ島にたどりついたということです。神功皇后は感謝の意をこめて三韓渡来の宝物を先述の二神に奉納しました。
その後、神功皇后の孫である仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来た際、社を対岸の現在の鎮座地である加太にうつしました。
当社は日本国内に約1000社余りある淡島神社系統(淡島神社・粟島神社・淡路神社)の神社の総本社です。