延喜式内明神大社

天石門別八倉比売神社

よみ: 
あめのいわとわけやくらひめじんじゃ
備考・キャッチ: 
阿波国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
八倉比売命
創建: 
不詳
住所: 
徳島県徳島市国府町西矢野字宮谷531番
電話番号: 
088-642-1710
URL: 
http://www.awanavi.jp/spot/2013032503065/
詳細情報
由緒: 
当社が鎮座しているのは杉尾山と呼ばれる山で、1741年から1743年(寛保年間)は 杉尾大明神と称していましたが、1870年(明治3年)ごろ、今の八倉比売神社に改められました。 その名残か今でも現地の人からは杉尾さんと呼び慕われています。 当社は阿波国一宮、天石門別八倉比売神社の論社の1つでありますが、創建は不詳とされています。 社伝によると天照大神の様子が記されているので、その歴史は相当長いと予想され、 1773年(安永2年)に書かれた文書にはこの時点で既に鎮座してから2150年とされており、 計算して行くとおおよそ紀元前378年ころからあるのではないかという説があります。 社殿の裏には五角形の磐座があり、これはかの邪馬台国、卑弥呼の墓であるとされています。 邪馬台国があった場所はどこなのか、様々な説がありますが、 墓があるだけでなく当社の祭神である天照大神は卑弥呼そのものとされることもあり、 そう考えると阿波国に邪馬台国があったというのもあながち間違いではないと言えるかもしれません。 他の神社と比べると祠や井戸を五角形にこだわって作られたものが多く、 普段他ではあまり見慣れない特殊な形も見どころです。
祭典名: 
例祭
月: 
10月
日: 
13日
地図の設定
緯度: 
34.0536592
経度: 
134.4749760

伊太祁曽神社

よみ: 
いたきそじんじゃ
備考・キャッチ: 
紀伊国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
五十猛命
祭神(備考): 
大屋都比賣命
祭神(備考): 
都麻津比賣命
創建: 
702年(文武天皇大宝2年)
住所: 
和歌山県和歌山市伊太祈曽558
電話番号: 
073-478-0006
URL: 
http://itakiso-jinja.net/
詳細情報
由緒: 
素戔嗚尊の子である五十猛命を主祭神に、大屋都比賣命・都麻津比賣命を配神とする、木の神として信仰されている三柱を祀っているのが当社になります。 正確な御鎮座の時期は定かではありませんが、702年(文武天皇大宝2年)の続日本紀には既に記事があり、その頃には既にあったとされています。 古くから紀伊国一宮として崇敬を集め、明治時代に国幣中社に列格した後、1918年(大正7年)には官幣中社に列格しました。 2002年平成(14年)には続日本紀に初出となった702年から数えて1300年とされ、天皇陛下より幣帛料を受けるなど、その歴史の長さを思わせるエピソードも数多く残っています。 また、直近では2009年(平成21年)には御鎮座1300年記念事業として本殿桧皮葺屋根の葺き替え工事が行われました。 1901年(明治34年)の神前結婚式が創案されてから当社でも執り行う様になり、今では一日一組限定で挙式することができます。 神前結婚式を挙げることだけでなく、他所で結婚式を挙げていても当社に結婚奉参拝が出来るので、木に携わるお仕事をしている人や、この地域の出身という人も多くお参りされます。
祭典名: 
卯杖祭
月: 
1月
日: 
14日
祭典名: 
木祭り
月: 
4月
日: 
初旬
祭典名: 
茅輪祭
月: 
7月
日: 
30日
月: 
7月
日: 
31日
祭典名: 
例祭
月: 
10月
日: 
15日
地図の設定
緯度: 
34.2020522
経度: 
135.2500779
電話: 
073-478-0006

丹生都比売神社

よみ: 
にふつひめじんじゃ/にうつひめじんじゃ
備考・キャッチ: 
紀伊国一宮
基本情報
祭神(備考): 
丹生都比売大神
祭神(備考): 
高野御子大神
祭神(備考): 
大食津比売大神
祭神(備考): 
市杵島比売大神
創建: 
不詳
住所: 
和歌山県伊都郡かつらぎ町大字上天野230
電話番号: 
0736-26-0102
URL: 
http://www.niutsuhime.or.jp/
詳細情報
由緒: 
当社は全国で約180社ある丹生都比売神を祀る神社の総本社とされ、天野大社、天野四所明神という別称でも親しまれています。 日本三大厄神の内の一つでもあるほか、紀伊山地の霊場と参詣道を構成している資産の一つとして世界文化遺産にも登録されています。 高野山参詣の入り口があることから、高野山に登る前は当社に参拝するという習わしがあったほど、高野山とは密接な関係があります。 それにより空海が建立した金剛峯寺の影響も大きく受けており、境内には仏教を由来とする遺跡や遺物が今もなおたくさん残っています。 また、世界文化遺産として登録されているだけでなく、工芸品である銀銅蛭巻太刀拵は国宝に、本殿4棟は国指定の重要文化財に、そして境内は国の史跡として指定されています。 祭神は第一殿に丹生都比売大神、第二殿に高野御子大神 、第三殿に大食津比売大神 、第四殿に市杵島比売大神 という四柱を祀っており、この四神は四所明神とも呼ばれます。 第一殿の祭神である丹生都比売大神には二つの性格があるとされ、一つは水神として扱うというもの、そしてもう一つは辰砂、採掘に関わる神として扱われている面があります。
祭典名: 
歳旦祭
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
元始祭
月: 
1月
日: 
3日
祭典名: 
厄除祭・御田祭
月: 
1月
日: 
中旬
祭典名: 
祈年祭
月: 
2月
日: 
17日
祭典名: 
花盛祭
月: 
4月
日: 
中旬
祭典名: 
大祓式
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
神還祭
月: 
7月
日: 
18日
祭典名: 
例祭
月: 
10月
日: 
16日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
祭典名: 
大祓式
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
34.2626971
経度: 
135.5220127
電話: 
0736-26-0102
識別子: 
0736-26-0107

伊弉諾神宮

よみ: 
いざなぎじんぐう
備考・キャッチ: 
淡路国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
伊弉諾尊
祭神: 
祭神(備考): 
伊弉冉尊
創建: 
神代
住所: 
兵庫県淡路市多賀740
電話番号: 
0799-80-5001
URL: 
http://izanagi-jingu.jp/
詳細情報
由緒: 
現淡路市、旧一宮町に所在する当社は、その地名から一宮(いっく)さん、伊弉諾さんという通称で親しまれています。 当社の祭神は「日本書紀」や「古事記」に国産み、神産みで登場する伊弉諾尊と伊弉冉尊の2神を祀っています。 そこからわかるように、当社は「日本書紀」や「古事記」と密接な関係にあり、伊弉諾尊が国産み・神産みを終えたのち、淡路島多賀の地の幽宮にて余生を過ごし終焉を迎えました。 その宮居の敷地には神陵が築き祀られ、それが創祀の起源だとされています。 1954年(昭和29年)までは伊弉諾神宮ではなく伊弉諾神社という名称でしたが、第二次世界大戦後、神宮号が宣下され、神社本庁が包括する別表神社になったことから、今の伊弉諾神宮に改称され、それによって神社ではなく神宮へ昇格しました。 また、1995年(平成7年)の阪神淡路大震災の被害を大きく受け、鳥居が倒壊するなどと言ったこともありましたが、同年の11月には氏氏の奉納によって神明鳥居に形式が変更され、再建されました。 毎月22日にはライトアップが行われたり、日本神話を元にした神楽が行われていることでも有名です。
祭典名: 
歳旦祭(四方拝)
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
淡路祖霊社 新年祭
月: 
1月
日: 
2日
祭典名: 
元始祭
月: 
1月
日: 
3日
祭典名: 
粥占前夕祭
月: 
1月
日: 
14日
祭典名: 
粥占祭(淡路農林水産祭)
月: 
1月
日: 
15日
祭典名: 
節分厄除祭(追儺式)
月: 
2月
日: 
3日
祭典名: 
祈年祭
月: 
3月
日: 
17日
祭典名: 
本殿祭・神拝式
月: 
4月
日: 
22日
祭典名: 
大東亜戦争戦没者追悼祭
月: 
8月
日: 
15日
祭典名: 
抜穂祭(御齋田稲刈式)
月: 
10月
日: 
初旬
祭典名: 
神宮神嘗奉祝祭
月: 
10月
日: 
17日
祭典名: 
明治祭
月: 
11月
日: 
3日
祭典名: 
新嘗祭(新穀感謝祭)
月: 
11月
日: 
23日
祭典名: 
事始め(大注連縄奉製)
月: 
12月
日: 
13日
祭典名: 
天長祭
月: 
12月
日: 
23日
祭典名: 
除夜祭
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
34.4600014
経度: 
134.8524756
電話: 
0799-80-5021

生田神社

よみ: 
いくたじんじゃ
備考・キャッチ: 
生田さん
基本情報
祭神: 
創建: 
神功皇后元年(西暦201年)
住所: 
兵庫県神戸市中央区下山手通一丁目2番1号
電話番号: 
078-321-3851
URL: 
http://www.ikutajinja.or.jp/
詳細情報
画像: 
由緒: 
神功皇后が海外外征の帰途、船が進まなくなったため神占を行ったところ、稚日女尊が現れ、「私は長狭国に居りたい」と言われたことから、この地に祀られたと伝えられます。 当初は、現在の新神戸駅の奥にある布引山に祀られていました。 799年の大洪水により、山全体が崩壊するおそれがあったため、村人の刀祢七太夫が祠から御神体を持ち帰り、現在地にある生田の森に移転したといわれています。 生田裔神八社として、神社を囲むように裔神八社があります。生田裔神八社は一宮神社~八宮神社と連番になっています。 <p><strong>生田裔神八社</strong></p> <p><a href="/single/43779.html">生田神社</a>の裔神八社。港神戸守護神 厄除八社とも呼ばれています。</p> <ul> <li><a href="/single/119990.html">一宮神社</a></li> <li><a href="/single/120275.html">二宮神社</a></li> <li><a href="/single/120155.html">三宮神社</a></li> <li><a href="/single/120411.html">四宮神社</a></li> <li><a href="/single/45363.html">五宮神社</a></li> <li><a href="/single/121573.html">六宮神社</a></li> <li><a href="/single/45385.html">七宮神社</a></li> <li><a href="/single/120303.html">八宮神社</a></li> </ul>
地図の設定
緯度: 
34.694851982566185
経度: 
135.19067032158134

日前神宮・國懸神宮

よみ: 
ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)
備考・キャッチ: 
紀伊国一宮 日前宮・名草宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
日前大神(日前神宮|ご神体:日像鏡・ひがたのかがみ)
祭神: 
祭神(備考): 
國懸大神(國懸神宮|ご神体:日矛鏡・ひぼこのかがみ)
創建: 
神武天皇2年
住所: 
和歌山県和歌山市秋月365
電話番号: 
073-471-3730
URL: 
http://www.inoritominori.com/
詳細情報
画像: 
由緒: 
日前神宮・國懸神宮は、同じ境内にあり、創建2600年以上を溯る歴史のある神社です。 日前神宮は日像鏡を御神体として日前大神を、國懸神宮は日矛鏡を御神体として國懸大神を、それぞれ奉祀しています。 岩戸隠れの伝説に深いかかわりがあります。 神代、天照大御神が天の岩窟に御隠れになられた際、思兼命の思慮に従い種種の供物を供え、天照大御神の御心を慰め和んで頂くため、石凝姥命を治工とし、天香山から採取した銅を用いて天照大御神の御鏡を鋳造しました。 『日本書紀』には、初めに鋳造された天照大御神の御鏡 前霊(日像鏡・日矛鏡)を日前國懸両神宮の御神体として、後に鋳造された御鏡(八咫鏡)を伊勢の神宮の御神体として奉祀されたと記されております。 天孫降臨の際、天道根命を紀伊国造に任命し、二つの神鏡を賜り、紀伊國名草郡毛見郷の地に奉祀されたのが起源であるといいます。 その後、崇神天皇51年、名草郡濱ノ宮に遷宮され、垂仁天皇16年には名草郡萬代宮(現在の場所)に遷宮され現在に至ります。
地図の設定
緯度: 
34.22880412097764
経度: 
135.2022416045931
電話: 
073-471-3730

熱田神宮

よみ: 
あつたじんぐう
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
熱田大神(草薙剣の神霊)※草薙剣を神体とする天照大神 
祭神: 
祭神: 
祭神: 
祭神: 
祭神: 
創建: 
景行天皇43年
住所: 
愛知県名古屋市熱田区神宮一丁目1番1号
電話番号: 
052-671-4151
URL: 
http://atsutajingu.or.jp/
詳細情報
画像: 
由緒: 
三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ・天叢雲剣)を祀る神社として古くから崇敬をあるめてきました。 第12代景行天皇の御代に、日本武尊は神剣を今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま、三重県亀山市能褒野亡くなったということです。 その後妻である宮簀媛命が、神剣を当地にお祀りになったことを由来とします。 古くは伊勢湾に突出した岬上に位置していたといいますが、周辺の干拓が進んだ為か現在はその面影はありません。
祭典名: 
熱田祭
月: 
6月
日: 
5日
地図の設定
緯度: 
35.1248207
経度: 
136.9096855

熊野大社

よみ: 
くまのたいしゃ
備考・キャッチ: 
出雲国一宮
基本情報
祭神: 
創建: 
神代
住所: 
島根県松江市八雲町熊野2451番
電話番号: 
0852-54-0087
URL: 
http://www.kumanotaisha.or.jp/
詳細情報
由緒: 
創建は神代といわれております。 『出雲國風土記』に熊野大社として、『延喜式神名帳』には熊野坐神社、日本火出初神社とも称され、 古来より杵築大社(出雲大社)と並んで出雲の國の大社とされてまいりました。 古くより朝廷の御尊崇が極めて篤く、仁壽元年には従三位を、貞観9年には正二位の神階を賜り、 かつ殖産興業や招福縁結・厄除の大神として民衆からの信仰も集めております。 明治4年に國幣中社、大正5年國幣大社に進列されました。 出雲大社宮司の襲職は、当社から燧臼燧杵の神器を拝戴する事から始まるのが古来よりの慣わしとなっており、現在も続いております。
祭典名: 
節分祭
月: 
2月
日: 
3日
祭典名: 
立春立志祭
月: 
3月
日: 
下旬
祭典名: 
御櫛祭
月: 
4月
日: 
13日
祭典名: 
長寿祭
月: 
4月
日: 
29日
祭典名: 
元宮祭
月: 
5月
備考: 
第四日曜日
祭典名: 
大祓・夏越祭
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
例大祭
月: 
10月
日: 
14日
祭典名: 
鑽火祭
月: 
10月
日: 
15日
地図の設定
緯度: 
35.3733743
経度: 
133.0703376

出雲大社

よみ: 
いずもおおやしろ、いずもたいしゃ
備考・キャッチ: 
出雲国一宮
基本情報
祭神: 
創建: 
神代といわれる
住所: 
島根県出雲市大社町杵築東195番
電話番号: 
0853-53-3100
URL: 
http://www.izumooyashiro.or.jp/
詳細情報
画像: 
由緒: 
本社は神代の創建といわれておりますが、日本神話などに伝承が語られています。 伝承の内容や大社の呼び名は様々でありますが、天津神の命により国津神である大国主神の宮が建てられたということは共通しております。 創建が単なる在地の信仰などではなく、古代の国家的事業として行われたと思われております。 また、社伝では垂仁天皇の時に第1回、斉明天皇の時に第2回の造営だといわれております。 平安時代前期までの祭神は大国主大神でありましたが、やがて神仏習合の影響により鎌倉時代から天台宗との関係が深まり、その影響もあって中世のある時期から17世紀まで祭神が素戔嗚尊となっておりました ところが、出雲大社内は仏堂や仏塔が立ち並んで神事が衰微してしまったために、17世紀の遷宮時に出雲国造家が神仏分離・廃仏毀釈を主張し認められることとなり、仏堂や仏塔は移築・撤去され経蔵は破却されました。 これに併せて祭神は素戔嗚尊から、古事記や日本書紀などの記述に沿って大国主大神に復することとなります。 出雲大社は、古代より杵築大社(きづきたいしゃ、きづきのおおやしろ)と呼ばれておりましたが、1871年に正式に出雲大社と改称し、1871年には官幣大社に列格し、大正時代には勅祭社となりました。 現在の正式名称は「いずもおおやしろ」であるが、一般には主に「いずもたいしゃ」と読まれております。 「二拝四拍手一拝」の作法で拝礼し、近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社でありました。 現在も、皇室の方でも本殿内までは入れないしきたりが守り続けられており、約60年に一度行われている本殿の建て替え時、神体が仮殿に遷御された後に、本殿の内部及び大屋根が公開されることがあります。
見所: 
祭典名: 
大饌祭(大御饌祭)
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
福迎祭
月: 
1月
日: 
3日
祭典名: 
説教始祭
月: 
1月
日: 
5日
祭典名: 
例祭(大祭礼)
月: 
5月
日: 
14日
祭典名: 
例祭(大祭礼) 二之祭
月: 
5月
日: 
15日
祭典名: 
例祭(大祭礼) 三之祭
月: 
5月
日: 
16日
祭典名: 
凉殿祭(真菰神事)
月: 
6月
日: 
1日
祭典名: 
爪剥祭
月: 
8月
日: 
5日
祭典名: 
出雲大社教大祭
月: 
8月
日: 
6日
月: 
8月
日: 
9日
祭典名: 
神幸祭(身逃神事)
月: 
8月
日: 
14日
祭典名: 
神迎祭
備考: 
旧暦10月10日
祭典名: 
神在祭(御忌祭)
備考: 
旧暦10月11日~17日
祭典名: 
献穀祭・古伝新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
祭典名: 
謝恩祭・勧農祭
月: 
12月
日: 
15日
祭典名: 
御煤払
月: 
12月
日: 
20日
祭典名: 
天長節祭
月: 
12月
日: 
23日
祭典名: 
大祓・除夜祭
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
35.40199110474706
経度: 
132.68540367089975

宇倍神社

よみ: 
うべじんじゃ
備考・キャッチ: 
因幡国一宮
基本情報
創建: 
孝徳天皇大化4年
住所: 
鳥取県鳥取市国府町宮下651
電話番号: 
0857-22-5025
URL: 
http://www.ubejinja.or.jp/
詳細情報
由緒: 
社伝によると、孝徳天皇大化4年の創建と伝えられております。 延喜式では県下唯一の名神大社、一の宮として崇敬を集めており、明治4年に国弊中社に列せられました。 現在の社殿は明治31年のもので、翌32年には全国の神社で最初に命の御尊像と共に五円紙幣に載せられ、 以後も数回、大正・昭和と五円・一円紙幣の図柄となりました。 このことからおかねに御縁があり、商売繁昌の神様として全国からの参詣を集めています。
祭典名: 
例祭
月: 
4月
日: 
21日
祭典名: 
秋祭
月: 
9月
日: 
21日
地図の設定
緯度: 
35.4809268
経度: 
134.2687950
電話: 
0857-22-5025
識別子: 
0857-29-2225

粟鹿神社

よみ: 
あわがじんじゃ
備考・キャッチ: 
但馬国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
日子坐王
祭神(備考): 
阿米美佐利命
創建: 
不詳
住所: 
兵庫県朝来市山東町粟鹿2152番
詳細情報
由緒: 
創建は不詳ですが、但馬国随一の古社であり、2000年以上の歴史があるとも言われております。 和銅元年に祭神や歴代祭主などを詳細に記した「粟鹿大明神元記」の写本が残っており、宮内庁に所蔵されております。 朝廷からの信頼が厚く、国家の大難に対して4度の勅使が遣わされたと伝えられております。 約600年前には勅使門が建立されました。日下部氏との関係が深いとされております。 粟鹿とは、鹿が三束の粟をくわえて山から現れ人々に農耕を教えたことからつけられ、粟鹿神社にその鹿が祀られているといわれております。
祭典名: 
歳旦祭
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
祈年祭
月: 
2月
日: 
4日
祭典名: 
破敵祭
月: 
3月
日: 
3日
祭典名: 
御田植祭
備考: 
4月卯日
祭典名: 
早祓祭(夏越祭)
月: 
6月
日: 
15日
祭典名: 
早祓祭
月: 
7月
日: 
15日
祭典名: 
秋季例大祭
月: 
10月
日: 
17日
地図の設定
緯度: 
35.2995746
経度: 
134.9092267

出石神社

よみ: 
いずしじんじゃ
備考・キャッチ: 
但馬国一宮
基本情報
祭神(備考): 
天日槍命
祭神(備考): 
出石八前大神
創建: 
奈良時代
住所: 
兵庫県豊岡市出石町宮内99
詳細情報
由緒: 
社伝では、奈良時代に創建したと伝えられ、貞観元年「日本記畧」では但馬第一の大社と記されております。。 神階は貞観16年に正五位上を授けられ、延長5年の延喜式神名帳において名神大社に列格されました。 永正元年に兵火で社殿を焼失してしまい大永4年に再建されましたが、以降はかつての勢いが無くなってしまいました。 明治4年に近代社格制度における国幣中社に列格しました。 明治43年に失火により再び社殿を焼失してしまい、大正3年に再建されました。
祭典名: 
正月祭
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
三日祭
月: 
1月
日: 
3日
祭典名: 
立春祭
月: 
3月
日: 
21日
祭典名: 
節句祭
月: 
5月
日: 
5日
祭典名: 
例祭
月: 
10月
日: 
20日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
地図の設定
緯度: 
35.4820551
経度: 
134.8703032
電話: 
0796-52-2440

籠神社

よみ: 
このじんじゃ・こもりじんじゃ
備考・キャッチ: 
丹後国一宮
基本情報
祭神: 
創建: 
不詳
住所: 
京都府宮津市字大垣430
電話番号: 
0772-27-0006
URL: 
http://www.motoise.jp
詳細情報
由緒: 
社伝によれば、はるか昔から現在の奥宮に豊受大神をお祭りして来ました。 そのご縁により崇神天皇の御代に天照大神が大和国からおうつりになり、吉佐宮として共にお祭り致しました。 その後、天照大神は垂仁天皇の御代に伊勢におうつりになり、また豊受大御神も雄略天皇の御代に伊勢におうつりになりました。 それによって、当社は「元伊勢」と呼ばれるようになりました。 両大神が伊勢にお遷りになった後、天孫彦火明命を主祭神とし、社名を籠宮と改めました。 また丹後国一宮として朝廷の崇敬を集めて参りました。 『延喜式神名帳』には「丹後国与謝郡 籠神社」と記載されており、名神大社に列しております。
祭典名: 
葵祭
月: 
4月
日: 
24日
地図の設定
緯度: 
35.5828156
経度: 
135.1966741
電話: 
0772-27-0006

出雲大神宮

よみ: 
いずもだいじんぐう
備考・キャッチ: 
丹波国一宮
基本情報
祭神: 
祭神: 
住所: 
京都府亀岡市千歳町千歳出雲
電話番号: 
0771-24-7799
URL: 
http://www.izumo-d.org/
詳細情報
由緒: 
創建は不明ですが、大国主命と三穂津姫命の二柱の御神格を併せて主祭神と祀り、丹波國に鎮座しております。 奈良時代以前から御蔭山を神体として祀られていたと推測されており、社殿では、和銅2年に社殿が建てられたとしております。 古事記や日本書紀には国譲りの神事が記載されておりますが、丹波国は出雲・大和の両勢力の接点にあり、 国譲りの所由によって祀られたと伝えられております。 平安時代中期の『延喜式神名帳』では「丹波国桑田郡 出雲神社」と記載され、名神大社に列しております。 正応5年には、雨乞いの功を示したことから神階が最高位の正一位まで昇ることができました。 明治4年に近代社格制度において国幣中社に列しました。 戦後、現在の「出雲大神宮」に改称致しました。 現社殿は鎌倉末期の建立され、それ以前は御神体山の御陰山を奉斎し、古来より現在もなお禁足の地であります。 また御陰山は元々国常立尊の聖地と伝えられています。 旧称出雲神社・元出雲・千年宮・大八洲国国祖神社。
祭典名: 
祈年祭
月: 
2月
日: 
17日
祭典名: 
鎮花祭
月: 
4月
日: 
18日
祭典名: 
例祭
月: 
10月
日: 
21日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
地図の設定
緯度: 
35.059403295397274
経度: 
135.578370917509
電話: 
0771-24-7799

弥彦神社(彌彦神社)

よみ: 
いやひこじんじゃ
備考・キャッチ: 
越後国一宮
基本情報
祭神: 
創建: 
不詳
住所: 
新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2898
電話番号: 
0256-94-2001
詳細情報
由緒: 
創建は不明ですが、祭神の天香山命は『古事記』に登場しております。 社伝によれば、越後国開拓のために現在の長岡市に上陸し、 地元民に漁労や製塩、稲作、養蚕などの様々な産業を教えたとされており、弥彦山に祀られ「伊夜比古神」として崇敬されました。 また、神武天皇即位の大典の際に自ら神歌楽を奉奏したとされております。 ですが尾張国造家の祖神である天香山命が越後に祀られるのは不自然であるため、 本来の祭神は北陸の国造家高橋氏の祖神・大彦命ではないかとする説も存在します。 弥彦山山麓に鎮座しており、弥彦山を神体山としてお祀りしております。 江戸時代には、社領を寄進され朱印地となり、朝廷からも篤く崇敬されたといいます。 明治4年(1871年)、近代社格制度において国幣中社に列しました。 越後国一宮。
祭典名: 
夜宴神事
月: 
1月
日: 
1日
月: 
1月
日: 
3日
祭典名: 
弓始神事
月: 
1月
日: 
7日
祭典名: 
粥占・炭置神事
月: 
1月
日: 
15日
月: 
1月
日: 
16日
祭典名: 
神幸神事
月: 
2月
日: 
1日
月: 
2月
日: 
4日
祭典名: 
例祭
月: 
2月
日: 
2日
祭典名: 
鎮魂祭
月: 
4月
日: 
1日
祭典名: 
妻戸大神例祭
月: 
4月
日: 
18日
祭典名: 
春季大祭
月: 
5月
日: 
14日
祭典名: 
水無月大祓式
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
燈籠神事
月: 
7月
日: 
25日
祭典名: 
鎮魂祭
月: 
11月
日: 
1日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
祭典名: 
大祓式
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
37.7066990
経度: 
138.8260363
電話: 
0256-94-2001

気多神社

よみ: 
けたじんじゃ
備考・キャッチ: 
越中国一宮
基本情報
祭神: 
祭神: 
祭神(備考): 
奴奈加波比売命
創建: 
天平宝字元年
住所: 
富山県高岡市伏木一宮1丁目10−1
電話番号: 
0766-44-1836
URL: 
http://ketaweb.com/
詳細情報
由緒: 
社伝によれば、当社が創建されたのは養老元年としていますが、諸説あるため詳細はわかっておりません。 延長5年に『延喜式神名帳』へ記載され、式内社となりました。 『延喜式神名帳』によれば、延暦3年3月3日正三位の神階に叙せられ、延喜8年8月16日官幣に預かったとされております。 当社は「宮内省図書寮本」や『延喜式』最古の写本である「九条本」で名神大社と記載されています。 寿永年間の末期、源義仲(木曾義仲)の兵火によって伽藍や社殿が焼失したとの伝承が残されております。 その後、伽藍や社殿を再建しましたが、天文年間に上杉謙信の兵火で再び焼失してしまいました。 戦国時代の末期、社領20石を有していたとされ、加賀藩祖前田利家が折々にご祈祷を行わせていたとされています。 しかし、慶長10年検地奉行の富田越前により社領全てが召し上げられて荒廃し、堂塔大破しますが、正保2年により社殿が修復されました。以後も越中国一宮として前田家の庇護を受けたとされております。 明治6年8月旧社格制度により県社に列格され、明治40年(1907年)3月には供進社に指定されました。 昭和6年室町時代の特質を残しているとして、本殿が国の重要文化財に指定されています。
祭典名: 
元旦祭
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
左義長
月: 
1月
備考: 
第二日曜日
祭典名: 
春季例大祭
月: 
4月
日: 
18日
祭典名: 
夏越大祓式
月: 
8月
日: 
30日
祭典名: 
秋季例大祭
月: 
9月
日: 
25日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
祭典名: 
年越大祓式
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
36.80023634904266
経度: 
137.0443403627926
電話: 
0766-44-1836

射水神社

よみ: 
えっちゅうそうちんじゅいみずじんじゃ
備考・キャッチ: 
越中国一宮
基本情報
祭神: 
住所: 
富山県高岡市古城1番1号
電話番号: 
0766-22-3104
URL: 
http://www.imizujinjya.or.jp/
詳細情報
由緒: 
創建は不祥ですが、「延喜式」神名帳では越中国唯一の「名神大社」に選ばれております。 また日本書紀にも、天武天皇三年に奉幣を預かったと記されており、 おそらく創建から千三百年余り経っていると考えられております。 社伝によれば、養老年間に僧行基が二上山麓に建てた養老寺に、二上権現と称して祀ったのが二上神の鎮座の始まりといわれ、 その後、二度にわたる兵火で焼失しますが、慶長十五年加賀藩主・前田利家公により復興致します。 明治四年には、越中国で最も格式高い「国幣中社」に列せられます。 明治八年、高岡城本丸跡の現在地に遷座され高岡大火の折に類焼してしまいますが、明治三十五年復興しました。 遷座よりすでに百三十年以上がたち、越中国一宮、名神大社の格式を今も守り続けております。
祭典名: 
左儀長(射水の火祭)
月: 
1月
日: 
14日
祭典名: 
春季例大祭
月: 
4月
日: 
23日
祭典名: 
鎮火祭
月: 
6月
日: 
27日
祭典名: 
夏越大祓
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
人形清祓式
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
奉納書道展
月: 
7月
日: 
中旬
祭典名: 
秋季大祭
月: 
9月
日: 
16日
祭典名: 
神嘗祭遥拝・神嘗奉祝祭
月: 
10月
日: 
17日
祭典名: 
明治祭
月: 
11月
日: 
3日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
地図の設定
緯度: 
36.7489304
経度: 
137.0211178

気多大社

よみ: 
けたたいしゃ
備考・キャッチ: 
能登国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
大己貴命
住所: 
石川県羽咋市寺家町ク1
電話番号: 
0767-22-0602
URL: 
http://www.keta.jp/
詳細情報
由緒: 
当社は能登半島の森を背景に海に面して鎮座しております。 古くから、気多神社、気多大神宮、気多大明神とも尊称されております。 大国主命を祭神としてお祀りしており、出雲から舟で能登へ入り守護神としてこの地に鎮まったとされております。 北陸の大社として知られ、歴代の領主からも手厚い保護を受けておりました。 能登の守護畠山氏の社領の寄進、社殿の造営などが見られ、現存する摂社若宮神社は国指定重要文化財となっており、 畠山氏に再建されたもので石川県の中世建造物として重視されております。 近世は、歴代の藩主が崇敬し、社領を寄進、祈願、祈祷や社殿の造営をいたしました。 加賀藩の保護した社叢には奥宮が鎮座し、「入らずの森」と呼ばれる聖域となっております。 明治四年に国幣中社、大正四年には国幣大社となり、現在も北陸道屈指の大社として知られております。 昭和五十八年には昭和天皇の行幸がございました。 現在、本殿など5棟の社殿が国の重要文化財に指定されております。 旧称・気多大神宮。
祭典名: 
平国祭
月: 
3月
日: 
18日
月: 
3月
日: 
23日
祭典名: 
鵜祭り
月: 
12月
日: 
16日
地図の設定
緯度: 
36.92608232760293
経度: 
136.76745159145793
電話: 
0120-009230

氣比神宮

よみ: 
けひじんぐう
備考・キャッチ: 
越前国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
気比大神
祭神: 
祭神: 
祭神: 
祭神: 
祭神: 
祭神(備考): 
玉妃命
祭神: 
住所: 
福井県敦賀市曙町11-68
電話番号: 
0770-22-0794
URL: 
http://kehijingu.jp/
詳細情報
由緒: 
伊奢沙別命は、笥飯大神・御食津大神とも呼ばれ、二千年以上前に境内の聖地(現在の土公)に降臨したと伝承されております。 古くから北陸道総鎮守と仰がれ、航海安全や水産漁業、産業発展と衣食住の平穏に信仰を集め、鎮座されております。 仲哀天皇は即位後、当宮で国家の安泰を祈願し、神功皇后は天皇の勅命により御妹玉妃命と武内宿禰命を従えて参拝されました。 文武天皇の頃、当宮を修営して仲哀天皇・神功皇后を合祀されて本宮とし、 後に日本武尊を東殿宮、応神天皇を総社宮、玉妃命を平殿宮、武内宿禰命を西殿宮に奉斎して「四社之宮」と称することとなりました。 明治28年3月26日、神宮号宣下の御沙汰により氣比神宮と改められました。 中古より越前國一宮と定められ、明治28年、官幣大社に列せられ、一座毎に奉幣に預ることとなります。 元亀元年4月大神司一族は越前国主朝倉氏の為に神兵社僧を発して織田信長の北伐を拒み、大激戦となりましたが、 48家の祠官36坊の社僧は離散し、古今の社領は没収され、祭祀は廃絶するに至ってしまいました。 慶長19年に社殿を造営されると共に社家8家を復興し、社領百石を寄進され、この時の本殿は流れ造りを代表するもので 明治39年国宝に指定されました。 ですが、戦災(昭和20年7月12日)により境域の諸建造物とともに焼失してしまい、終戦後も再建は行われましたが、 昭和57年「昭和の大造営」に着手することになります。 以来、本殿改修、幣殿、拝殿、儀式殿、廻廊の新設成り、旧国宝大鳥居の改修工事を行ない、 平成の御代に至って御大典記念氣比の杜造成、四社の宮再建、駐車場設備により大社の面目を一新いたしました。 更に国家管理時代の社務所として長い間使用していた敦賀区裁判所の庁舎も、老朽化により已むなく解体、 平成23年6月大社に相応しい格式ある総木造社務所が新築落成いたしました。
祭典名: 
御誓祭
月: 
3月
日: 
6日
祭典名: 
御名易祭
月: 
3月
日: 
8日
祭典名: 
総参祭
月: 
7月
日: 
22日
祭典名: 
気比の長祭り
月: 
9月
日: 
2日
月: 
9月
日: 
15日
祭典名: 
例祭
月: 
9月
日: 
4日
地図の設定
緯度: 
35.6549607
経度: 
136.0747021

若狭彦神社・若狭姫神社

よみ: 
わかさひこじんじゃ
備考・キャッチ: 
若狭国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
若狭彦大神
祭神: 
祭神(備考): 
若狭姫大神
創建: 
和銅7年(714年)
住所: 
福井県小浜市遠敷65-41
電話番号: 
0770-56-1116
詳細情報
由緒: 
小浜市中心部から南東の多田ヶ岳山麓に鎮座いたします。 上社・下社の2社からなりますが、総称として「若狭彦神社」または「上下宮」と呼ばれます。 社伝では、二神は遠敷郡下根来村白石の里に姿を表したといわれ、その姿は唐人のようだったといわれております。 和銅7年9月10日に両神が示現した白石の里に上社・若狭彦神社が創建されました。 そして翌霊亀元年9月10日に現在地に遷座し、白石の前鎮座地には、若狭彦神社境外社の白石神社があります。 下社・若狭姫神社は、養老5年2月10日に上社より分祀して創建されました 『延喜式神名帳』には「若狭国遠敷郡 若狭比古神社二座」として名神大社に列しており、上社が若狭国一宮、下社が二宮とされました。 元々は上社が中心でしたが、室町時代ごろから段々と祭祀は下社に移っていきました。 中世には社家の牟久氏が京の官人や有力御家人と結びつき、広大な社領を有しておりました。 若狭彦神社(上社)は畳・敷物業の神ともいわれ、現在はインテリア関係者などの信仰も集めております。 若狭姫神社(下社)は安産・育児に霊験があるとされており、境内には子種石と呼ばれる陰陽石や、 乳神様とよばれる大銀杏などが存在します。 現在ほとんどの祭事は下社・若狭姫神社で行われており、神職も下社にのみ常駐しております。
祭典名: 
お水送り
備考: 
旧暦二月
地図の設定
緯度: 
35.466144711834886
経度: 
135.7785570032048
電話: 
0770-56-1116

鳥海山大物忌神社

よみ: 
ちょうかいさんおおものいみじんじゃ
備考・キャッチ: 
出羽国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
大物忌大神
創建: 
景行天皇または欽明天皇年間
住所: 
山形県飽海郡遊佐町吹浦字布倉1番
電話番号: 
0234-77-2301
URL: 
http://www9.plala.or.jp/thoukai/
詳細情報
由緒: 
神社の創建は欽明天皇二十五年頃と伝えられています。 山頂社殿が噴火焼失と再建を繰り返しており、創建には諸説ございます。 鳥海山は活火山で、噴火などの異変が起こると大物忌神の神威の表れとされ、朝廷から奉幣があり鎮祭が行われました。 一時期神仏習合の為大物忌神へ奉仕する職制は変化し、従来の唯一神道を以って奉仕する社家、 神宮寺の仏式を以って奉仕する社僧に別れましたが、中世には鳥海山大権現と称して社僧が奉仕をしていたのだといわれています。 これが後の明治の神仏分離によって、大物忌神社に復すまで続くことになります。 延長5年(927年)には『延喜式神名帳』により式内社、名神大社とされ、国家から特別の扱いを受けておりました。 そして当神社は出羽国一宮とされました。 本社は山頂に鎮座し、麓に「口の宮」と呼ばれる里宮が吹浦と蕨岡の二ヶ所に鎮座いたします。 昭和30年(1955年)社名を三社併せた総称として「鳥海山大物忌神社」へ改称し、 現在は神社本庁が包括する別表神社となっております。
祭典名: 
歳旦祭 御頭舞奉納
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
五日堂大祈祷 (五穀の占)
月: 
1月
日: 
5日
祭典名: 
祈年祭
月: 
4月
日: 
8日
祭典名: 
蕨岡口之宮例大祭 蕨岡延年奉納
月: 
5月
日: 
3日
祭典名: 
吹浦口之宮例大祭 吹浦田楽奉納
月: 
5月
日: 
4日
祭典名: 
吹浦口之宮例大祭
月: 
5月
日: 
5日
祭典名: 
鳥海山夏山開祭
月: 
7月
日: 
1日
祭典名: 
鳥海山火合せ神事
月: 
7月
日: 
14日
祭典名: 
月山神社祭 (玉酒神事)
月: 
7月
日: 
15日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
8日
月: 
11月
日: 
9日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
12日
地図の設定
緯度: 
39.07497895138899
経度: 
139.87872319185678

八槻都都古別神社

よみ: 
やつきつつこわけじんじゃ
備考・キャッチ: 
陸奥国一宮
基本情報
祭神(備考): 
味鉏高彦根命
創建: 
不詳
住所: 
福島県東白川郡棚倉町大字八槻字大宮224
電話番号: 
0247-33-3505
詳細情報
由緒: 
棚倉町には「都都古別神社」という神社が馬場と八槻大宮に2社あり、どちらも同じような由緒、祭神、名神大社、 陸奥国一宮を称してはいますが、別の神社であります。 なぜ「都都古別神社」がなぜ同町内に2社あるのか、その理由は定かではありません。 現地では両社を区別するため鎮座地名をとって馬場都都古別神社・八槻都都古別神社のように呼んでおります。 同じ久慈川沿いにある近津神社と合わせて近津三社と言われております。 延喜式神名帳には「都都古和気神社」と記載されており、江戸時代まではこのように称していましたが、 明治時代の太政官符に「都都古別神社」と記載されていたことから以降「わけ」には「別」の字を当てましたが 第二次大戦後、馬場都都古別神社は正式の表記を旧来の「和氣」に戻しております。 なお、福島県石川郡石川町にも同じ祭神を祀る石都々古和気神社があり、同じく陸奥国一宮とされているが、 都都古別神社との関係は明らかになっておりません。 社伝によると、味鉏高彦根命が父である大国主命を助けて奥羽の地を開拓し、当地に祀られたのが始まりだとされております。 日本武尊がこの地に東征したとき、千度戦って千度勝ったとされ、その後陸奥国に来た八幡太郎義家が、 この故事を称えて当神社を「千勝大明神」と名づけたといわれております。
祭典名: 
御田植祭
備考: 
旧暦正月六日
祭典名: 
例祭
備考: 
旧暦11月1日~5日
祭典名: 
古例祭
備考: 
旧暦11月3日
地図の設定
緯度: 
36.99459046374521
経度: 
140.39208224101264

馬場都都古和氣神社

よみ: 
ばばつつこわけじんじゃ
備考・キャッチ: 
陸奥国一宮
基本情報
創建: 
景行天皇の御代
住所: 
福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場39
電話番号: 
0247-33-7219
詳細情報
由緒: 
棚倉町には「都都古別神社」という神社が馬場と八槻大宮に2社あり、どちらも同じような由緒、祭神、名神大社、 陸奥国一宮を称してはいますが、別の神社であります。 なぜ「都都古別神社」がなぜ同町内に2社あるのか、その理由は定かではありません。 現地では両社を区別するため鎮座地名をとって馬場都都古別神社・八槻都都古別神社のように呼んでおります。 同じ久慈川沿いにある近津神社と合わせて近津三社と言われております。 延喜式神名帳には「都都古和気神社」と記載されており、江戸時代まではこのように称していましたが、 明治時代の太政官符に「都都古別神社」と記載されていたことから以降「わけ」には「別」の字を当てましたが 第二次大戦後、馬場都都古別神社は正式の表記を旧来の「和氣」に戻しております。 なお、福島県石川郡石川町にも同じ祭神を祀る石都々古和気神社があり、同じく陸奥国一宮とされているが、 都都古別神社との関係は明らかになっておりません。 社伝によると、景行天皇の頃、日本武尊が奥羽鎮撫の際に都都古和気神を地主神として都々古山に 鉾を立てたのが始まりとされております。 その後、大同2年(807年)に現在の棚倉城址に社殿を造営され、日本武尊を相殿に配祀いたしました。 寛永2年(1625年)、さらに棚倉城建築のため現在地に遷座されております。
祭典名: 
例祭
月: 
9月
日: 
12日
地図の設定
緯度: 
37.0320493912887
経度: 
140.37591794307116

志波彦神社・鹽竈神社

よみ: 
しわひこじんじゃ・しおがまじんじゃ
備考・キャッチ: 
陸奥国一宮
基本情報
祭神: 
祭神: 
祭神: 
祭神: 
住所: 
宮城県塩竈市一森山1番1号
電話番号: 
022-367-1611
URL: 
http://www.shiogamajinja.jp/
詳細情報
由緒: 
同地に志波彦神社・鹽竈神社が鎮座しており、現在は正式名称を志波彦神社鹽竈神社とし1つの宗教法人となっています。元々鹽竈神社のみが鎮座していましたが、明治7年に志波彦神社が遷祀されました。 【志波彦神社】 元々当社は宮城郡岩切村(仙台市岩切)の冠川の畔に鎮座し、延喜式明神大社として、朝廷より厚く尊崇を受けてたと伝えられます。明治4年5月国幣中社となり、明治7年12月24日に鹽竈神社の別宮本殿に遷祀されました。 【鹽竈神社】 当神社創建の年代は詳らかではありませんが、古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として、 朝廷を始め庶民の崇敬を集めており、平安時代初期から厚い祭祀料を授かっていた事が知られております。 奈良時代国府と鎮守府を兼ねた多賀城が当神社の西南5km余の小高い丘に設けられ、信仰されたと考えられます。 武家社会となってからは平泉の藤原氏・伊沢氏、特に伊達氏の崇敬が厚く、歴代藩主は大神主として務めてまいりました。 現在の社殿は伊達家四代から五代の9年の歳月をかけ宝永元年に竣工されたものです。 江戸時代以降は「式年遷宮の制」が行なわれ、氏子・崇敬者各位の赤誠により 平成3年には第十七回の式年遷宮本殿遷座祭が斎行されることになりました。 平成14年12月、本殿・拝殿・四足門(唐門)・廻廊・随神門以下14棟と、石鳥居1基が、国の重要文化財の指定を受けました。
祭典名: 
志波彦神社例祭
月: 
3月
日: 
29日
祭典名: 
鹽竈神社例祭
月: 
7月
日: 
10日
祭典名: 
志波彦神社 遷座記念祭
月: 
9月
日: 
29日
祭典名: 
鹽竈神社 講社大祭
月: 
10月
日: 
6日
月: 
10月
日: 
8日
祭典名: 
大祓式 除夜祭
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
38.31913429882627
経度: 
141.01275804977803

日光二荒山神社

よみ: 
にっこうふたらさんじんじゃ
備考・キャッチ: 
下野国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
大己貴命 (二荒山大神)
祭神: 
祭神(備考): 
(二荒山大神)
祭神(備考): 
味耜高彦根命 (二荒山大神)
創建: 
神護景雲元年(767年)
住所: 
栃木県日光市山内2307
電話番号: 
0288-54-0535
URL: 
http://www.futarasan.jp/
詳細情報
由緒: 
古来より、栃木県北西の日光三山を神体山として祀る神社であります。 日光三山は男体山に大国主命(古名を二荒山)、女峯山に田心姫命、太郎山に味耜高彦根命とそれぞれに神をあてて祀っております。 社殿は日光の社寺最奥の本社、中禅寺湖畔の中宮祠、男体山山頂の奥宮の3社が存在しております。 古来より修験道の霊場として崇敬され、江戸時代に日光東照宮等が造営されると、当社も江戸幕府に重視されるようになり、 現在の世界遺産・重要文化財に指定される主な社殿が造営され、また国宝指定の刀剣や、多数の刀剣等の重要文化財も有しており、下野国一宮に列せられました。 当社は三山のほか日光連山を境内地とし、その広大な神域には華厳の滝やいろは坂、国の史跡「日光山内」にも含まれております。 正式名称は二荒山神社ですが、宇都宮市の二荒山神社との区別のために地名を付して「日光二荒山神社」と呼ばれております。 現在、ユネスコの世界遺産に「日光の社寺」の一つとして登録されております。
祭典名: 
例祭
月: 
4月
日: 
17日
祭典名: 
男体山登拝大祭
月: 
7月
日: 
31日
月: 
8月
日: 
7日
地図の設定
緯度: 
36.7585541
経度: 
139.5967885
電話: 
0288-54-0535

宇都宮二荒山神社

よみ: 
ふたあらやま(ふたらやま)じんじゃ
備考・キャッチ: 
下野国一宮
基本情報
祭神: 
創建: 
仁徳天皇41年
住所: 
栃木県宇都宮市馬場通り一丁目1番1号
電話番号: 
028-622-5271
URL: 
http://www.futaarayamakaikan.jp/about/
詳細情報
由緒: 
二荒山神社は大変歴史が古く、第10代崇神天皇の頃まで遡る事ができますが、何度も火災にあい、 近年に入ってからも4度に渡る大火にあって古い史料がほぼ消失してしまいました。。 現在残っている社記には、約1600年前の第16代仁徳天皇の頃に毛野國(栃木県・群馬県)が上下の二国に別けられ、 御祭神豊城入彦命の4世孫奈良別王(ならわけのきみ)が下毛野國の国造に任じられた際、 祖神である豊城入彦命を荒尾崎(下之宮)に祭神として祀ったのが始まりとされています。 その後承和5年(838)に現在の地臼ヶ峰に遷されたと伝えられています。 お祀りしている豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は、第十代崇神天皇の第一皇子で 郷土の祖神、総氏神様としてでなく武徳にも優れていたため武将からも篤い信仰を受けており、 源頼朝公、徳川家康公など当社に戦勝祈願し神領・宝物の寄進や社殿改築をされております。 また『平家物語』によりますと、屋島の戦いで那須与一は平家船上の扇の的を射る際に 「日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神」と祈ったといわれており、 また平将門の乱では藤原秀郷公がこの神社で授かった霊剣によって将門を討った言われております。 延長5年(927)に政治のよりどころとして完成した延喜式・神名帳には東山道街道筋として 「下野國河内郡一座 大 二荒山神社 名神大」と記載されており、栃木県内の名神大社は当社のみでした。 代々城主が社務職を兼ね「宇都宮大明神」と称し、郷土の祖神・総氏神さまとして篤い信仰を受け 下野國一之宮といわれておりました。 「二荒山神社」を名称とする神社は関東地方を中心に多数存在しますが、 中でも当社と日光の二荒山神社の2社が古社として現在は知られております。
祭典名: 
春渡祭
月: 
1月
日: 
15日
祭典名: 
太々神楽・祈祷祭
月: 
1月
日: 
28日
祭典名: 
厄難消除祈祷講祭
月: 
2月
備考: 
節分
祭典名: 
祈年祭
月: 
2月
日: 
17日
祭典名: 
太々神楽・祈祷祭
月: 
2月
祭典名: 
花会祭
月: 
4月
日: 
11日
祭典名: 
東國御治定記念祭
月: 
4月
日: 
19日
祭典名: 
田舞祭
月: 
5月
日: 
15日
祭典名: 
太々神楽・祈祷祭
月: 
5月
日: 
28日
祭典名: 
須賀神社 天王祭
月: 
7月
日: 
15日
月: 
7月
日: 
20日
祭典名: 
冬渡祭
月: 
9月
日: 
28日
祭典名: 
例祭
月: 
10月
日: 
21日
祭典名: 
菊水祭
月: 
10月
備考: 
最終土日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
地図の設定
緯度: 
36.56257177804907
経度: 
139.88588222185604

貫前神社

よみ: 
ぬきさきじんじゃ
備考・キャッチ: 
上野国一宮
基本情報
祭神: 
祭神: 
祭神(備考): 
姫大神
創建: 
安閑天皇元年
住所: 
群馬県富岡市一ノ宮1535番
電話番号: 
0274-62-2009
URL: 
http://nukisaki.or.jp/
詳細情報
由緒: 
社伝によると、創建は安閑天皇元年(531年?)3月15日、鷺宮(現 安中市の咲前神社に比定)に 物部姓磯部氏が氏神である経津主神を祀り、荒船山に発する鏑川の流域で鷺宮の南方に位置する蓬ヶ丘綾女谷に社を定めたのが始まりといわれております。 その後、天武天皇2年(私年号では白鳳2年、673年)に最初の奉幣が行われました。 一方『神道集』では、安閑天皇2年(532年?)3月中頃に抜鉾大明神が笹岡山に鉾を逆さに立てて御座、 白鳳6年(677年)3月に菖蒲谷に社壇が建立されたと記載されております。 現在の社名「一之宮貫前神社」は、旧社格廃止に伴い改称したものであり、 六国史をはじめとする古書には、「抜鉾神社」(ぬきほこじんじゃ)と「貫前神社」(ぬきさきじんじゃ)の2つの名で記されております。 この2社が現神社の前身であるとすると、最初に記録に登場するのは大同元年(806年)、 『新鈔格勅符抄』の神封部にある「上野抜鉾神 二戸」の記述であります。 延長5年(927年)には『延喜式神名帳』に貫前神社が名神大に列格されております。 宇多天皇の代、仁和4年(888年)に一代一度の奉幣として大神宝使を遣わすこととしたが、 当社へは寛仁元年(1017年)後一条天皇即位の際に遣わされています。 長元3年-4年(1030年-1031年)に成立したとされる『上野国交替実録帳』には 「正一位勲十二等抜鉾大明神社」とあり、当時既に神階が正一位に達していたと思われています。 『本朝続文粋』の記述によれば、康和2年(1100年)4月に上野国目代平周真が降雨の祈願を行った時の奉献の文を 国司上野介藤原敦基が執筆しており、当社が国司による特別の崇敬を受け、一宮的機能が12世紀初頭には確立したと考えられています。 中世において、当社は源頼義・義家父子を始めとする武家の崇敬を集め、 室町時代末期に越後上杉・相模後北条・甲斐武田の各氏に支配された際も庇護を受け、 特に武田氏は譜代家老の原昌胤が取次を務め、造替費用を棟別に課して、上野国を越えた策を講じたとされます。 江戸時代には徳川家の庇護を受け、現在の社殿が整えられました。江戸当時は「抜鉾神社」が一般名称でありました。 明治4年(1871年)に近代社格制度において国幣中社に指定され、延喜式での表記に倣い「貫前神社」と改称いたしました。 戦後は神社本庁が包括する別表神社となっております。
祭典名: 
歳旦祭
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
元始祭
月: 
1月
日: 
3日
祭典名: 
水的神事
月: 
1月
日: 
3日
祭典名: 
生弓矢生太刀神事
月: 
1月
日: 
7日
祭典名: 
筒粥神事
月: 
1月
日: 
15日
祭典名: 
農耕始祭
月: 
2月
日: 
17日
祭典名: 
春季御戸開祭
月: 
3月
日: 
14日
祭典名: 
例大祭
月: 
3月
日: 
15日
祭典名: 
大祓式
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
新穀感謝祭
月: 
11月
日: 
23日
祭典名: 
御神酒醸り神事
月: 
12月
日: 
1日
祭典名: 
川瀬神事
月: 
12月
日: 
8日
祭典名: 
鹿占神事
月: 
12月
日: 
8日
祭典名: 
御機織神事
月: 
12月
日: 
11日
祭典名: 
冬季御戸開祭
月: 
12月
日: 
12日
祭典名: 
大祓式
月: 
12月
日: 
31日
祭典名: 
除夜祭
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
36.25513623854832
経度: 
138.85762425341179

諏訪大社

よみ: 
すわたいしゃ
備考・キャッチ: 
信濃国一宮
基本情報
祭神: 
祭神: 
創建: 
不詳
住所: 
長野県諏訪市大字中洲字宮山1
電話番号: 
0266-52-1919
URL: 
http://suwataisha.or.jp/
詳細情報
由緒: 
長野県中央の諏訪湖を挟んで、以下の二社四宮の境内が鎮座します。 ・上社 (かみしゃ) ・本宮 (ほんみや)(長野県諏訪市中洲宮山) ・前宮 (まえみや)(長野県茅野市宮川) ・下社 (しもしゃ) ・秋宮 (あきみや)(長野県諏訪郡下諏訪町武居) ・春宮 (はるみや)(長野県諏訪郡下諏訪町下ノ原) 上社は諏訪湖南岸、下社は北岸に位置し遠く離れているため、実質的には別の神社となっております。 なお「上社・下社」とあるが社格に序列はありません。 創建の年代は不明だが、日本最古の神社の1つといわれるほど古くから存在しております。 『梁塵秘抄』に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」と謡われているように軍神として崇敬されました。 また中世に狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟・漁業の守護祈願でも知られています。 社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱が立っているほか、社殿の配置にも独特の形を備えております。 社殿は多数が重要文化財に指定されているほか、6年に一度(7年目に一度)催される御柱祭で知られています。 『古事記』・『先代旧事本紀』では、天照大神の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、 武甕槌命(たけみかづちのみこと)が大国主命に国譲りするように迫ったとされております。 これに対して、大国主命の次男である建御名方命が国譲りに反対し、 武甕槌命に相撲を挑んだが負けてしまい、諏訪まで逃れました。 そして、以後は諏訪から他の土地へ出ないこと、天津神の命に従うことを誓ったとされております。 説話には社を営んだことまでは記されていないが、当社の起源はこの神話にあるといわれております。 なお、この説話は『日本書紀』には記載されてはおりません。 以上はあくまでも神話の域を出ないが、これを基に土着の勢力の上に外から入った神氏によって成立したのが当社であると考えられております。 諏訪一帯の遺跡分布の密度・出土する土器の豪華さは全国でも群を抜いており、当地が繁栄していた様子がうかがわれます。 祭祀が始まった時期は不詳ですが、文献上は『日本書紀』の持統天皇5年(691年)8月に 「信濃須波」の神を祀るというのが初見となっております。 平安時代の『日本三代実録』には「建御名方富命神社」、『左経記』には「須波社」と記載されております。 また『延喜式神名帳』では「信濃国諏訪郡 南方刀美神社二座 名神大」と記載され名神大社に列しておりますが、 この二座が上社・下社を指すとされております。また、信濃国の一宮とされました。 古くから軍神として崇敬され、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に戦勝祈願をしたと伝えられます。 鎌倉時代には「諏訪社」の表記が見られ、また「上宮」・「上社」の記載もあり、この頃には上社・下社に分けられておりました。 なお、治承4年(1180年)が上下社の区別が明示されている初見であります。 他の神社同様、当社も神仏習合により上社・下社に神宮寺が設けられて別当寺(神社を管理する寺)となり、 上社は普賢菩薩・下社は千手観音が本地仏とされました。 上社南方の御射山で行われた御射山祭には鎌倉を始め甲斐・信濃など周辺の武士が参加しました。 それに加えて、軍神としての武士からの崇敬や諏訪氏の鎌倉・京都への出仕により、 今日に見る諏訪信仰の全国への広まりが形成されることとなりました。 また、諏訪両社においても大祝を中心として武士団化が進み、両社間で争いも多く存在しました。 戦国時代に武田信玄が諏訪へ侵攻し、信玄によって永禄8年(1565年)から翌年にかけて上社・下社の祭祀の再興が図られました。 信玄からの崇敬は強く、戦時には「南無諏訪南宮法性上下大明神」の旗印を先頭に諏訪法性兜をかぶって出陣したと伝えられる。 江戸時代に入り、江戸幕府第3代将軍徳川家光によって上社に朱印1,000石・下社に500石が安堵されました。 また高島藩から上社50石(のち100石)・下社30石(のち60石)、会津藩主・保科正之から上社100石・下社50石が寄進されました。 明治4年(1871年)に近代社格制度において国幣中社に列し「諏訪神社」を正式名称としました。 その後、明治29年(1896年)に官幣中社、大正5年(1916年)に官幣大社と昇格いたしました。 戦後は神社本庁の別表神社の一社となり、昭和23年(1948年)から他の諏訪神社と区別する必要等により「諏訪大社」の号が用いられております。
祭典名: 
諏訪大社式年造営御柱大祭
備考: 
寅年と申年の6年ごと(7年目ごと)に、樅を山中から切り出し、各社殿の四方に建てて神木とする祭。 諏訪大社の最も重要な祭。御柱と同時に、宝殿の建て替えのため宝殿内の神器の遷座も行われる。
祭典名: 
御神渡
備考: 
冬の諏訪湖の湖面に氷が張り、日中に氷の膨張によって亀裂が走る現象で、特に上社から下社の方向へ走るものに対していう。これは男の神が上社から女の神のいる下社へ通った跡とされ、神事が諏訪市の八剱神社の宮司によって執り行われる。
地図の設定
緯度: 
36.0238687
経度: 
138.1180790

南宮大社

よみ: 
なんぐうたいしゃ
備考・キャッチ: 
美濃国一宮
基本情報
祭神: 
創建: 
崇神天皇年間
住所: 
岐阜県不破郡垂井町宮代1734番の1
電話番号: 
0584-22-1225
URL: 
http://www.nangu-san.com/
詳細情報
由緒: 
社伝では、崇神天皇の時代に創建されたとされます。 岐阜県西部、南宮山の山麓に鎮座しております。 「国府の南に位置する宮」として「南宮」を名乗るようになったとされます。 鉱山を司どる神である金山彦命を祭神としており、全国の鉱山・金属業の総本宮として古くから信仰を集めております。 境内には江戸時代の遺構18棟が残っており、国の重要文化財に指定されています。 平安時代中期の『延喜式神名帳』には「美濃国不破郡 仲山金山彦神社」と記載され名神大社に列しています。 また、美濃国一宮とされました。 1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いで焼失しましたが、1642年に徳川家光が再建いたしました。 1868年、神仏分離により神宮寺が分離移転しました(現 朝倉山真禅院)。 近代社格制度のもとで、1871年に「南宮神社」として国幣中社に列し、1925年に国幣大社に昇格いたしました。 戦後、「南宮大社」と改称しました。
祭典名: 
節分祭
月: 
2月
祭典名: 
御田植祭
月: 
5月
日: 
4日
祭典名: 
例大祭
月: 
5月
日: 
5日
備考: 
神行式、蛇山神事、還幸舞などの「南宮の神事芸能」:重要無形民俗文化財に指定。
祭典名: 
茅の輪くぐり(夏越の大祓式)
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
ふいご祭(金山祭)
月: 
11月
日: 
8日
地図の設定
緯度: 
35.3609935
経度: 
136.5253024

建部大社

よみ: 
たけべたいしゃ
備考・キャッチ: 
近江国一宮
基本情報
祭神: 
祭神: 
祭神(備考): 
大己貴命
創建: 
景行天皇46年
住所: 
滋賀県大津市神領一丁目16番1号
電話番号: 
077-545-0038
URL: 
http://takebetaisha.jp/
詳細情報
由緒: 
社伝では、日本武尊の死後の景行天皇46年、日本武尊の妃・布多遅比売命が神勅により、 御子・建部稲依別命とともに住んでいた神崎郡建部郷千草嶽(現 東近江市五個荘伊野部町付近の箕作山)の地に 日本武尊を建部大神として祀ったのが創建とされています。 御祭神、日本武尊は御年僅に16才にて熊襲を誅し、更に東夷を平定され、 遂に32才にして伊勢の能褒野において崩御されまましたが、「日本書紀」によると、 父君景行天皇は尊の永逝をいたく歎かれ、御名代として建部を定め、その功名を伝えられました。 これが即ち建部の起源です。 のち、天武天皇4年(675年)に近江の守護神として、現在地の栗太郡勢多へ遷座いたしました。 遷座後、元の千草嶽の麓には神護景雲2年(768年)に聖真大明神と建部大明神が設けられたとされ、 現在は建部神社が残っております。 天平勝宝7年(755年)には、大己貴命が大神神社から勧請され、権殿に祀られました。 平安時代中期の『延喜式神名帳』には「近江国栗太郡 建部神社 名神大」と記載され名神大社に列しているほか、 近江国の一宮として崇敬されていました。 源頼朝が平治の乱に敗れて伊豆国に流される道中、本社に立ち寄って源氏の再興を祈願、 後に大願成就したことから、出世開運の神としても著名となることとなりました。 明治4年(1871年)近代社格制度において「建部神社」として県社に列格され、同18年に官幣中社、同33年に官幣大社となりました。 戦後の昭和23年(1948年)には神社本庁の別表神社となり、社名を「建部大社」といたしました。 なお、昭和20年8月、日本で初めて作られた千円紙幣(甲号券)の図柄に日本武尊と当社本殿が使用されました。
祭典名: 
歳旦祭
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
元始祭
月: 
1月
日: 
3日
祭典名: 
山神祭 (末社桧山神社祭)
月: 
1月
日: 
9日
祭典名: 
成人祭
月: 
1月
日: 
15日
祭典名: 
節分祭
備考: 
節分
祭典名: 
護国祭
月: 
2月
日: 
4日
祭典名: 
紀元祭
月: 
2月
日: 
11日
祭典名: 
祈年祭 (春の大祭)
月: 
2月
日: 
17日
祭典名: 
勧学祭
祭典名: 
榊立祭
月: 
3月
日: 
31日
祭典名: 
境内社大野神社祭
月: 
4月
日: 
1日
祭典名: 
宵宮祭
月: 
4月
日: 
14日
祭典名: 
例大祭
月: 
4月
日: 
15日
祭典名: 
挿秧祭
月: 
6月
日: 
15日
祭典名: 
大祓式
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
納涼榊立祭
月: 
8月
日: 
1日
祭典名: 
納涼祭
月: 
8月
日: 
7日
祭典名: 
宵宮祭
月: 
8月
日: 
16日
祭典名: 
納涼船幸祭
月: 
8月
日: 
17日
祭典名: 
早穀祭
月: 
10月
日: 
12日
祭典名: 
新嘗祭 (秋の大祭)
月: 
11月
日: 
23日
祭典名: 
鎮火祭
月: 
11月
日: 
26日
祭典名: 
天長祭
月: 
12月
日: 
23日
祭典名: 
大祓式 除夜式
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
34.9734990
経度: 
135.9135046
コンテンツ配信