初詣

居多神社

よみ: 
こたじんじゃ
備考・キャッチ: 
越後国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
大己貴命
祭神: 
祭神: 
創建: 
不詳
住所: 
新潟県上越市五智6-1-11
電話番号: 
025-543-4354
詳細情報
由緒: 
創建は不明ですが、近くに越後国国府があったことから越後国一宮とされております。 『延喜式神名帳』では「居多」は「けた」となっており、北陸地方に分布する「気多(けた)神社」と同じ系統の神社とされております。 明治6年に県社に列格し、それまでは日本海に面した所に社殿がありましたが海岸侵食により境内が崩壊したため、 明治12年、現在地に仮社殿を造営して遷座しました。 平成19年に本社殿を造営、平成20年6月に落慶致しました。 境内には、葉が片方にのみ生えている「片葉の芦」が群生しており、越後七不思議の一つとされています。 親鸞聖人が当社に参拝して念じたところ、一夜にして境内の芦が片葉になったと伝えられています。
地図の設定
緯度: 
37.166499303536696
経度: 
138.22314978946162

弥彦神社(彌彦神社)

よみ: 
いやひこじんじゃ
備考・キャッチ: 
越後国一宮
基本情報
祭神: 
創建: 
不詳
住所: 
新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2898
電話番号: 
0256-94-2001
詳細情報
由緒: 
創建は不明ですが、祭神の天香山命は『古事記』に登場しております。 社伝によれば、越後国開拓のために現在の長岡市に上陸し、 地元民に漁労や製塩、稲作、養蚕などの様々な産業を教えたとされており、弥彦山に祀られ「伊夜比古神」として崇敬されました。 また、神武天皇即位の大典の際に自ら神歌楽を奉奏したとされております。 ですが尾張国造家の祖神である天香山命が越後に祀られるのは不自然であるため、 本来の祭神は北陸の国造家高橋氏の祖神・大彦命ではないかとする説も存在します。 弥彦山山麓に鎮座しており、弥彦山を神体山としてお祀りしております。 江戸時代には、社領を寄進され朱印地となり、朝廷からも篤く崇敬されたといいます。 明治4年(1871年)、近代社格制度において国幣中社に列しました。 越後国一宮。
祭典名: 
夜宴神事
月: 
1月
日: 
1日
月: 
1月
日: 
3日
祭典名: 
弓始神事
月: 
1月
日: 
7日
祭典名: 
粥占・炭置神事
月: 
1月
日: 
15日
月: 
1月
日: 
16日
祭典名: 
神幸神事
月: 
2月
日: 
1日
月: 
2月
日: 
4日
祭典名: 
例祭
月: 
2月
日: 
2日
祭典名: 
鎮魂祭
月: 
4月
日: 
1日
祭典名: 
妻戸大神例祭
月: 
4月
日: 
18日
祭典名: 
春季大祭
月: 
5月
日: 
14日
祭典名: 
水無月大祓式
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
燈籠神事
月: 
7月
日: 
25日
祭典名: 
鎮魂祭
月: 
11月
日: 
1日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
祭典名: 
大祓式
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
37.7066990
経度: 
138.8260363
電話: 
0256-94-2001

雄山神社

よみ: 
おやまじんじゃ
備考・キャッチ: 
越中国一宮
基本情報
祭神: 
祭神: 
創建: 
大宝元年(701年)
住所: 
富山県中新川郡立山町立山峰1番
電話番号: 
076-483-1148
URL: 
http://www.oyamajinja.org/
詳細情報
由緒: 
創建は大宝元年とされ、立山両権現の霊示を受けて文武天皇の勅命により開山されたのが霊峰立山であります。 その立山を神山と仰ぎ、立山雄山神(立山大宮)、剣岳の刀尾神(立山若宮)の両権現を奉斎する根本中宮をはじめ 壮大なる神社仏閣が建立されました。 岩峅寺にも社殿が建てられて、年中の諸祭礼行いました。 以来神仏習合の一大霊場として皇室をはじめ武将名門の崇敬を受け、元明天皇・後醍醐天皇の勅願所となりました。 また清和天皇の貞観五年・宇多天皇の寛平元年に叙位されました。 鎌倉幕府が文治元年に諸堂を造営しましたが、深く崇敬し保護造営されてきた霊場も、 天正十三年八月、豊臣秀吉により焼き払われ、以前の諸堂を殆ど失ってしまいます。 その後前田利家公が加賀藩主となり復興造営に保護を加えたものの、 明治維新の廃仏毀釈・神仏判然令により一大改新を加えられたため、布橋灌頂において重要な役割を果たした中宮寺ウバ堂は廃止されてしまい、天下三霊橋と誇っていた布橋も落ち、塔中諸坊も四散し芦峅寺は廃墟と化してしまいました。 ただ、根本中宮の境内とその講堂が雄山神社中宮祈願殿として現在も残り、 明治6年に県社、昭和15年に国幣小社に列せられました。 旧称・立山権現・雄山権現。
地図の設定
緯度: 
36.607588758653065
経度: 
137.31470372823009

高瀬神社

よみ: 
たかせじんじゃ
備考・キャッチ: 
越中国一宮
基本情報
祭神: 
創建: 
景行天皇年間
住所: 
富山県南砺市高瀬291番
電話番号: 
0763-82-0932
URL: 
http://www.takase.or.jp/
詳細情報
由緒: 
創建は景行天皇11年頃とも云われており、社伝には御祭神がこの地に守り神を祀り、さらに自らの御魂をも鎮め祀られ、 出雲へ帰り給うたとも伝えられ、のちに延喜式内社、越中一宮として崇められてまいりました。 越中国の人々や朝廷の崇敬も厚く、天武天皇の頃には勅使を派遣されました。 光仁天皇の宝亀11年に従五位、文徳天皇の斉衝元年に従三位、また同年、祢宜、祝等に把笏を許されます。 貞観元年に正三位、さらにその後正一位を授かりました。 戦国時代には見る影もないほど荒廃してしまいましたが、前田藩主により漸次神威昂揚せられて、 明治6年に県社、大正12年に国幣小社に昇格されました。 大正13年には摂政の宮の御使が参向され、大正14年には皇后陛下より「神ながらの道」を奉献され、 昭和3年の御大典、昭和16年の宣戦また昭和20年の終戦には勅使の参向がありました。
祭典名: 
天神祭
月: 
1月
日: 
25日
祭典名: 
紀元節祭
月: 
2月
日: 
11日
祭典名: 
祈年祭
月: 
2月
日: 
17日
祭典名: 
神武天皇祭
月: 
4月
日: 
3日
祭典名: 
春季祭
月: 
4月
日: 
10日
祭典名: 
昭和祭
月: 
4月
日: 
29日
祭典名: 
祈年穀祭
月: 
6月
日: 
10日
祭典名: 
風宮例祭
月: 
6月
日: 
19日
祭典名: 
稲荷社例祭・夏越の大祓
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
人形感謝祭
備考: 
海の日の前の日曜日
祭典名: 
除熱祭
備考: 
土用の三番
祭典名: 
中禮祭
月: 
7月
日: 
16日
祭典名: 
例祭
月: 
9月
日: 
13日
祭典名: 
秋季皇霊祭
備考: 
秋分の日
祭典名: 
神嘗奉祝祭
月: 
10月
日: 
17日
祭典名: 
明治節祭
月: 
11月
日: 
3日
祭典名: 
神明宮例祭
月: 
11月
日: 
13日
祭典名: 
七五三祝祭
月: 
11月
日: 
15日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
祭典名: 
天長節祭
月: 
12月
日: 
23日
祭典名: 
師走の大祓・除夜祭
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
36.5718849
経度: 
136.9482561

気多神社

よみ: 
けたじんじゃ
備考・キャッチ: 
越中国一宮
基本情報
祭神: 
祭神: 
祭神(備考): 
奴奈加波比売命
創建: 
天平宝字元年
住所: 
富山県高岡市伏木一宮1丁目10−1
電話番号: 
0766-44-1836
URL: 
http://ketaweb.com/
詳細情報
由緒: 
社伝によれば、当社が創建されたのは養老元年としていますが、諸説あるため詳細はわかっておりません。 延長5年に『延喜式神名帳』へ記載され、式内社となりました。 『延喜式神名帳』によれば、延暦3年3月3日正三位の神階に叙せられ、延喜8年8月16日官幣に預かったとされております。 当社は「宮内省図書寮本」や『延喜式』最古の写本である「九条本」で名神大社と記載されています。 寿永年間の末期、源義仲(木曾義仲)の兵火によって伽藍や社殿が焼失したとの伝承が残されております。 その後、伽藍や社殿を再建しましたが、天文年間に上杉謙信の兵火で再び焼失してしまいました。 戦国時代の末期、社領20石を有していたとされ、加賀藩祖前田利家が折々にご祈祷を行わせていたとされています。 しかし、慶長10年検地奉行の富田越前により社領全てが召し上げられて荒廃し、堂塔大破しますが、正保2年により社殿が修復されました。以後も越中国一宮として前田家の庇護を受けたとされております。 明治6年8月旧社格制度により県社に列格され、明治40年(1907年)3月には供進社に指定されました。 昭和6年室町時代の特質を残しているとして、本殿が国の重要文化財に指定されています。
祭典名: 
元旦祭
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
左義長
月: 
1月
備考: 
第二日曜日
祭典名: 
春季例大祭
月: 
4月
日: 
18日
祭典名: 
夏越大祓式
月: 
8月
日: 
30日
祭典名: 
秋季例大祭
月: 
9月
日: 
25日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
祭典名: 
年越大祓式
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
36.80023634904266
経度: 
137.0443403627926
電話: 
0766-44-1836

射水神社

よみ: 
えっちゅうそうちんじゅいみずじんじゃ
備考・キャッチ: 
越中国一宮
基本情報
祭神: 
住所: 
富山県高岡市古城1番1号
電話番号: 
0766-22-3104
URL: 
http://www.imizujinjya.or.jp/
詳細情報
由緒: 
創建は不祥ですが、「延喜式」神名帳では越中国唯一の「名神大社」に選ばれております。 また日本書紀にも、天武天皇三年に奉幣を預かったと記されており、 おそらく創建から千三百年余り経っていると考えられております。 社伝によれば、養老年間に僧行基が二上山麓に建てた養老寺に、二上権現と称して祀ったのが二上神の鎮座の始まりといわれ、 その後、二度にわたる兵火で焼失しますが、慶長十五年加賀藩主・前田利家公により復興致します。 明治四年には、越中国で最も格式高い「国幣中社」に列せられます。 明治八年、高岡城本丸跡の現在地に遷座され高岡大火の折に類焼してしまいますが、明治三十五年復興しました。 遷座よりすでに百三十年以上がたち、越中国一宮、名神大社の格式を今も守り続けております。
祭典名: 
左儀長(射水の火祭)
月: 
1月
日: 
14日
祭典名: 
春季例大祭
月: 
4月
日: 
23日
祭典名: 
鎮火祭
月: 
6月
日: 
27日
祭典名: 
夏越大祓
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
人形清祓式
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
奉納書道展
月: 
7月
日: 
中旬
祭典名: 
秋季大祭
月: 
9月
日: 
16日
祭典名: 
神嘗祭遥拝・神嘗奉祝祭
月: 
10月
日: 
17日
祭典名: 
明治祭
月: 
11月
日: 
3日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
地図の設定
緯度: 
36.7489304
経度: 
137.0211178

気多大社

よみ: 
けたたいしゃ
備考・キャッチ: 
能登国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
大己貴命
住所: 
石川県羽咋市寺家町ク1
電話番号: 
0767-22-0602
URL: 
http://www.keta.jp/
詳細情報
由緒: 
当社は能登半島の森を背景に海に面して鎮座しております。 古くから、気多神社、気多大神宮、気多大明神とも尊称されております。 大国主命を祭神としてお祀りしており、出雲から舟で能登へ入り守護神としてこの地に鎮まったとされております。 北陸の大社として知られ、歴代の領主からも手厚い保護を受けておりました。 能登の守護畠山氏の社領の寄進、社殿の造営などが見られ、現存する摂社若宮神社は国指定重要文化財となっており、 畠山氏に再建されたもので石川県の中世建造物として重視されております。 近世は、歴代の藩主が崇敬し、社領を寄進、祈願、祈祷や社殿の造営をいたしました。 加賀藩の保護した社叢には奥宮が鎮座し、「入らずの森」と呼ばれる聖域となっております。 明治四年に国幣中社、大正四年には国幣大社となり、現在も北陸道屈指の大社として知られております。 昭和五十八年には昭和天皇の行幸がございました。 現在、本殿など5棟の社殿が国の重要文化財に指定されております。 旧称・気多大神宮。
祭典名: 
平国祭
月: 
3月
日: 
18日
月: 
3月
日: 
23日
祭典名: 
鵜祭り
月: 
12月
日: 
16日
地図の設定
緯度: 
36.92608232760293
経度: 
136.76745159145793
電話: 
0120-009230

白山比咩神社

よみ: 
しらやまひめじんじゃ
備考・キャッチ: 
加賀国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
白山比咩大神
祭神: 
祭神: 
創建: 
崇神天皇年間
住所: 
石川県白山市三宮町ニ105-1
電話番号: 
076-272-0680
URL: 
http://www.shirayama.or.jp/
詳細情報
由緒: 
創建は崇神天皇の時代とされ、元々は現在の古宮公園の場所に鎮座していたとされています。 養老2年、越前の修験僧によって白山の主峰・御前峰に奥宮が創建され、白山妙理大権現が奉祀されました。 平安時代中期になると、自然崇拝の山から修験者の山岳修行や、神仏習合思潮に彩られた修験の霊場へと変化していき、 白山には加賀・越前・美濃3国それぞれから山頂に至る登山道が開かれ、それぞれの道筋に社堂が次第に調えられていきました。 平安時代末期、加賀国禅定道筋の中心的存在であった当社は加賀国一宮とされ、一国の神社を代表とする立場から勧農を目的とした国衙祭祀を担うようになります。 白山本宮は平安時代中期から鎌倉時代を経て、室町時代前期に至る約500年間栄えました。 白山本宮は洪水や火災に度々遭って再建を重ね、文明12年の大火で全ての社寺が焼失してしまい、末社の三宮の現社地に遷座しました。 明治の神仏分離により、寺号を廃して『延喜式神名帳』に記載された社名である「白山比咩神社」に改称しました。 それまで、加賀・越前・美濃の馬場のそれぞれが白山信仰の中心地となっており、加賀は2番目であったが、 3社のうちで『延喜式神名帳』に記載されているのは加賀の当社のみであるということから、 当社が全国の白山神社の総本社とされ、越前・美濃はその下に位置する地方の白山神社のうちの一つということにされたようです。 越前・美濃の白山神社より勧請を受けた他の白山神社も、加賀の白山比咩神社の分霊社というように由諸を書き換え、 戦後は、越前平泉寺・美濃長滝の両白山神社もそれぞれ「白山神社の総本社」となっております。
祭典名: 
例大祭
月: 
5月
日: 
6日
祭典名: 
御贄講大祭
月: 
6月
日: 
9日
祭典名: 
白山奥宮夏山開山祭
月: 
7月
日: 
1日
祭典名: 
白山奥宮大祭
月: 
7月
日: 
18日
祭典名: 
夏まつり白山水系水利感謝祭
月: 
8月
日: 
15日
月: 
8月
日: 
16日
祭典名: 
白山奥宮夏山閉山祭
月: 
8月
日: 
31日
祭典名: 
神嘗奉祝祭
月: 
10月
日: 
17日
祭典名: 
豊年講秋季大祭
月: 
10月
日: 
23日
月: 
10月
日: 
24日
祭典名: 
明治祭
月: 
11月
日: 
3日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
祭典名: 
天長祭
月: 
12月
日: 
23日
祭典名: 
年越大祓・除夜祭
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
36.434848804838104
経度: 
136.63616424203735

氣比神宮

よみ: 
けひじんぐう
備考・キャッチ: 
越前国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
気比大神
祭神: 
祭神: 
祭神: 
祭神: 
祭神: 
祭神(備考): 
玉妃命
祭神: 
住所: 
福井県敦賀市曙町11-68
電話番号: 
0770-22-0794
URL: 
http://kehijingu.jp/
詳細情報
由緒: 
伊奢沙別命は、笥飯大神・御食津大神とも呼ばれ、二千年以上前に境内の聖地(現在の土公)に降臨したと伝承されております。 古くから北陸道総鎮守と仰がれ、航海安全や水産漁業、産業発展と衣食住の平穏に信仰を集め、鎮座されております。 仲哀天皇は即位後、当宮で国家の安泰を祈願し、神功皇后は天皇の勅命により御妹玉妃命と武内宿禰命を従えて参拝されました。 文武天皇の頃、当宮を修営して仲哀天皇・神功皇后を合祀されて本宮とし、 後に日本武尊を東殿宮、応神天皇を総社宮、玉妃命を平殿宮、武内宿禰命を西殿宮に奉斎して「四社之宮」と称することとなりました。 明治28年3月26日、神宮号宣下の御沙汰により氣比神宮と改められました。 中古より越前國一宮と定められ、明治28年、官幣大社に列せられ、一座毎に奉幣に預ることとなります。 元亀元年4月大神司一族は越前国主朝倉氏の為に神兵社僧を発して織田信長の北伐を拒み、大激戦となりましたが、 48家の祠官36坊の社僧は離散し、古今の社領は没収され、祭祀は廃絶するに至ってしまいました。 慶長19年に社殿を造営されると共に社家8家を復興し、社領百石を寄進され、この時の本殿は流れ造りを代表するもので 明治39年国宝に指定されました。 ですが、戦災(昭和20年7月12日)により境域の諸建造物とともに焼失してしまい、終戦後も再建は行われましたが、 昭和57年「昭和の大造営」に着手することになります。 以来、本殿改修、幣殿、拝殿、儀式殿、廻廊の新設成り、旧国宝大鳥居の改修工事を行ない、 平成の御代に至って御大典記念氣比の杜造成、四社の宮再建、駐車場設備により大社の面目を一新いたしました。 更に国家管理時代の社務所として長い間使用していた敦賀区裁判所の庁舎も、老朽化により已むなく解体、 平成23年6月大社に相応しい格式ある総木造社務所が新築落成いたしました。
祭典名: 
御誓祭
月: 
3月
日: 
6日
祭典名: 
御名易祭
月: 
3月
日: 
8日
祭典名: 
総参祭
月: 
7月
日: 
22日
祭典名: 
気比の長祭り
月: 
9月
日: 
2日
月: 
9月
日: 
15日
祭典名: 
例祭
月: 
9月
日: 
4日
地図の設定
緯度: 
35.6549607
経度: 
136.0747021

若狭彦神社・若狭姫神社

よみ: 
わかさひこじんじゃ
備考・キャッチ: 
若狭国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
若狭彦大神
祭神: 
祭神(備考): 
若狭姫大神
創建: 
和銅7年(714年)
住所: 
福井県小浜市遠敷65-41
電話番号: 
0770-56-1116
詳細情報
由緒: 
小浜市中心部から南東の多田ヶ岳山麓に鎮座いたします。 上社・下社の2社からなりますが、総称として「若狭彦神社」または「上下宮」と呼ばれます。 社伝では、二神は遠敷郡下根来村白石の里に姿を表したといわれ、その姿は唐人のようだったといわれております。 和銅7年9月10日に両神が示現した白石の里に上社・若狭彦神社が創建されました。 そして翌霊亀元年9月10日に現在地に遷座し、白石の前鎮座地には、若狭彦神社境外社の白石神社があります。 下社・若狭姫神社は、養老5年2月10日に上社より分祀して創建されました 『延喜式神名帳』には「若狭国遠敷郡 若狭比古神社二座」として名神大社に列しており、上社が若狭国一宮、下社が二宮とされました。 元々は上社が中心でしたが、室町時代ごろから段々と祭祀は下社に移っていきました。 中世には社家の牟久氏が京の官人や有力御家人と結びつき、広大な社領を有しておりました。 若狭彦神社(上社)は畳・敷物業の神ともいわれ、現在はインテリア関係者などの信仰も集めております。 若狭姫神社(下社)は安産・育児に霊験があるとされており、境内には子種石と呼ばれる陰陽石や、 乳神様とよばれる大銀杏などが存在します。 現在ほとんどの祭事は下社・若狭姫神社で行われており、神職も下社にのみ常駐しております。
祭典名: 
お水送り
備考: 
旧暦二月
地図の設定
緯度: 
35.466144711834886
経度: 
135.7785570032048
電話: 
0770-56-1116

鳥海山大物忌神社

よみ: 
ちょうかいさんおおものいみじんじゃ
備考・キャッチ: 
出羽国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
大物忌大神
創建: 
景行天皇または欽明天皇年間
住所: 
山形県飽海郡遊佐町吹浦字布倉1番
電話番号: 
0234-77-2301
URL: 
http://www9.plala.or.jp/thoukai/
詳細情報
由緒: 
神社の創建は欽明天皇二十五年頃と伝えられています。 山頂社殿が噴火焼失と再建を繰り返しており、創建には諸説ございます。 鳥海山は活火山で、噴火などの異変が起こると大物忌神の神威の表れとされ、朝廷から奉幣があり鎮祭が行われました。 一時期神仏習合の為大物忌神へ奉仕する職制は変化し、従来の唯一神道を以って奉仕する社家、 神宮寺の仏式を以って奉仕する社僧に別れましたが、中世には鳥海山大権現と称して社僧が奉仕をしていたのだといわれています。 これが後の明治の神仏分離によって、大物忌神社に復すまで続くことになります。 延長5年(927年)には『延喜式神名帳』により式内社、名神大社とされ、国家から特別の扱いを受けておりました。 そして当神社は出羽国一宮とされました。 本社は山頂に鎮座し、麓に「口の宮」と呼ばれる里宮が吹浦と蕨岡の二ヶ所に鎮座いたします。 昭和30年(1955年)社名を三社併せた総称として「鳥海山大物忌神社」へ改称し、 現在は神社本庁が包括する別表神社となっております。
祭典名: 
歳旦祭 御頭舞奉納
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
五日堂大祈祷 (五穀の占)
月: 
1月
日: 
5日
祭典名: 
祈年祭
月: 
4月
日: 
8日
祭典名: 
蕨岡口之宮例大祭 蕨岡延年奉納
月: 
5月
日: 
3日
祭典名: 
吹浦口之宮例大祭 吹浦田楽奉納
月: 
5月
日: 
4日
祭典名: 
吹浦口之宮例大祭
月: 
5月
日: 
5日
祭典名: 
鳥海山夏山開祭
月: 
7月
日: 
1日
祭典名: 
鳥海山火合せ神事
月: 
7月
日: 
14日
祭典名: 
月山神社祭 (玉酒神事)
月: 
7月
日: 
15日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
8日
月: 
11月
日: 
9日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
12日
地図の設定
緯度: 
39.07497895138899
経度: 
139.87872319185678

石都々古和気神社

よみ: 
いわつつこわけじんじゃ
備考・キャッチ: 
陸奥国一宮
基本情報
祭神(備考): 
味秬高彦根命
祭神: 
祭神: 
祭神(備考): 
誉田別命
創建: 
不詳
住所: 
福島県石川郡石川町字下泉296番
電話番号: 
0247-26-7534
URL: 
http://www13.plala.or.jp/seihuukan/
詳細情報
由緒: 
当社が始めて文献に登場するのは、延喜式年間に全国の神社を調査した時で、その時確認された神社を延喜式内社と呼び、 当社もその一社に数えられています。 京都の住人、初代福田安芸守源有光は永承六年(1052年) 、奥州の豪族安倍氏追討に加わり、 その功により奥州仙道のこの地を賜りました。 康平六年(1063年)に源有光はこの地に移り住み、名を石川有光と改めました。 此の地は四方を山々に囲まれ、今出川が東より南へ、磐境が重なり自然の要害となっているこの当社鎮座地に三芦城を築城し、 治暦二年(1066年)源氏の氏神である京都石清水八幡宮の御分霊(大国主命・誉田別命)を当社に合祀しました。 その日が旧九月十九日で、この時よりこの日を例祭日と定め、毎年旧九月十三日から十九日までを例祭期間としております。 例祭日も時代と共に変わっていき、昭和五十年より新暦の九月十一日から十五日迄となり、 平成十五年より九月の第二土曜日に例祭式、同日夕刻より翌日夕刻迄が渡御、第二土曜日前三日間を参篭となっております。 当社は福島県石川町の通称八幡山に鎮座しており、境内及び神社森は三芦城の跡地として県及び町の史跡に指定されております。 古くより山岳信仰の場として山そのもの、また参道に点在する磐境が信仰の対象として、崇敬されております。
祭典名: 
例祭式
月: 
9月
備考: 
第二土曜日
地図の設定
緯度: 
37.14496264131327
経度: 
140.45099833984042

八槻都都古別神社

よみ: 
やつきつつこわけじんじゃ
備考・キャッチ: 
陸奥国一宮
基本情報
祭神(備考): 
味鉏高彦根命
創建: 
不詳
住所: 
福島県東白川郡棚倉町大字八槻字大宮224
電話番号: 
0247-33-3505
詳細情報
由緒: 
棚倉町には「都都古別神社」という神社が馬場と八槻大宮に2社あり、どちらも同じような由緒、祭神、名神大社、 陸奥国一宮を称してはいますが、別の神社であります。 なぜ「都都古別神社」がなぜ同町内に2社あるのか、その理由は定かではありません。 現地では両社を区別するため鎮座地名をとって馬場都都古別神社・八槻都都古別神社のように呼んでおります。 同じ久慈川沿いにある近津神社と合わせて近津三社と言われております。 延喜式神名帳には「都都古和気神社」と記載されており、江戸時代まではこのように称していましたが、 明治時代の太政官符に「都都古別神社」と記載されていたことから以降「わけ」には「別」の字を当てましたが 第二次大戦後、馬場都都古別神社は正式の表記を旧来の「和氣」に戻しております。 なお、福島県石川郡石川町にも同じ祭神を祀る石都々古和気神社があり、同じく陸奥国一宮とされているが、 都都古別神社との関係は明らかになっておりません。 社伝によると、味鉏高彦根命が父である大国主命を助けて奥羽の地を開拓し、当地に祀られたのが始まりだとされております。 日本武尊がこの地に東征したとき、千度戦って千度勝ったとされ、その後陸奥国に来た八幡太郎義家が、 この故事を称えて当神社を「千勝大明神」と名づけたといわれております。
祭典名: 
御田植祭
備考: 
旧暦正月六日
祭典名: 
例祭
備考: 
旧暦11月1日~5日
祭典名: 
古例祭
備考: 
旧暦11月3日
地図の設定
緯度: 
36.99459046374521
経度: 
140.39208224101264

馬場都都古和氣神社

よみ: 
ばばつつこわけじんじゃ
備考・キャッチ: 
陸奥国一宮
基本情報
創建: 
景行天皇の御代
住所: 
福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場39
電話番号: 
0247-33-7219
詳細情報
由緒: 
棚倉町には「都都古別神社」という神社が馬場と八槻大宮に2社あり、どちらも同じような由緒、祭神、名神大社、 陸奥国一宮を称してはいますが、別の神社であります。 なぜ「都都古別神社」がなぜ同町内に2社あるのか、その理由は定かではありません。 現地では両社を区別するため鎮座地名をとって馬場都都古別神社・八槻都都古別神社のように呼んでおります。 同じ久慈川沿いにある近津神社と合わせて近津三社と言われております。 延喜式神名帳には「都都古和気神社」と記載されており、江戸時代まではこのように称していましたが、 明治時代の太政官符に「都都古別神社」と記載されていたことから以降「わけ」には「別」の字を当てましたが 第二次大戦後、馬場都都古別神社は正式の表記を旧来の「和氣」に戻しております。 なお、福島県石川郡石川町にも同じ祭神を祀る石都々古和気神社があり、同じく陸奥国一宮とされているが、 都都古別神社との関係は明らかになっておりません。 社伝によると、景行天皇の頃、日本武尊が奥羽鎮撫の際に都都古和気神を地主神として都々古山に 鉾を立てたのが始まりとされております。 その後、大同2年(807年)に現在の棚倉城址に社殿を造営され、日本武尊を相殿に配祀いたしました。 寛永2年(1625年)、さらに棚倉城建築のため現在地に遷座されております。
祭典名: 
例祭
月: 
9月
日: 
12日
地図の設定
緯度: 
37.0320493912887
経度: 
140.37591794307116

志波彦神社・鹽竈神社

よみ: 
しわひこじんじゃ・しおがまじんじゃ
備考・キャッチ: 
陸奥国一宮
基本情報
祭神: 
祭神: 
祭神: 
祭神: 
住所: 
宮城県塩竈市一森山1番1号
電話番号: 
022-367-1611
URL: 
http://www.shiogamajinja.jp/
詳細情報
由緒: 
同地に志波彦神社・鹽竈神社が鎮座しており、現在は正式名称を志波彦神社鹽竈神社とし1つの宗教法人となっています。元々鹽竈神社のみが鎮座していましたが、明治7年に志波彦神社が遷祀されました。 【志波彦神社】 元々当社は宮城郡岩切村(仙台市岩切)の冠川の畔に鎮座し、延喜式明神大社として、朝廷より厚く尊崇を受けてたと伝えられます。明治4年5月国幣中社となり、明治7年12月24日に鹽竈神社の別宮本殿に遷祀されました。 【鹽竈神社】 当神社創建の年代は詳らかではありませんが、古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として、 朝廷を始め庶民の崇敬を集めており、平安時代初期から厚い祭祀料を授かっていた事が知られております。 奈良時代国府と鎮守府を兼ねた多賀城が当神社の西南5km余の小高い丘に設けられ、信仰されたと考えられます。 武家社会となってからは平泉の藤原氏・伊沢氏、特に伊達氏の崇敬が厚く、歴代藩主は大神主として務めてまいりました。 現在の社殿は伊達家四代から五代の9年の歳月をかけ宝永元年に竣工されたものです。 江戸時代以降は「式年遷宮の制」が行なわれ、氏子・崇敬者各位の赤誠により 平成3年には第十七回の式年遷宮本殿遷座祭が斎行されることになりました。 平成14年12月、本殿・拝殿・四足門(唐門)・廻廊・随神門以下14棟と、石鳥居1基が、国の重要文化財の指定を受けました。
祭典名: 
志波彦神社例祭
月: 
3月
日: 
29日
祭典名: 
鹽竈神社例祭
月: 
7月
日: 
10日
祭典名: 
志波彦神社 遷座記念祭
月: 
9月
日: 
29日
祭典名: 
鹽竈神社 講社大祭
月: 
10月
日: 
6日
月: 
10月
日: 
8日
祭典名: 
大祓式 除夜祭
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
38.31913429882627
経度: 
141.01275804977803

諏訪大社

よみ: 
すわたいしゃ
備考・キャッチ: 
信濃国一宮
基本情報
祭神: 
祭神: 
創建: 
不詳
住所: 
長野県諏訪市大字中洲字宮山1
電話番号: 
0266-52-1919
URL: 
http://suwataisha.or.jp/
詳細情報
由緒: 
長野県中央の諏訪湖を挟んで、以下の二社四宮の境内が鎮座します。 ・上社 (かみしゃ) ・本宮 (ほんみや)(長野県諏訪市中洲宮山) ・前宮 (まえみや)(長野県茅野市宮川) ・下社 (しもしゃ) ・秋宮 (あきみや)(長野県諏訪郡下諏訪町武居) ・春宮 (はるみや)(長野県諏訪郡下諏訪町下ノ原) 上社は諏訪湖南岸、下社は北岸に位置し遠く離れているため、実質的には別の神社となっております。 なお「上社・下社」とあるが社格に序列はありません。 創建の年代は不明だが、日本最古の神社の1つといわれるほど古くから存在しております。 『梁塵秘抄』に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」と謡われているように軍神として崇敬されました。 また中世に狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟・漁業の守護祈願でも知られています。 社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱が立っているほか、社殿の配置にも独特の形を備えております。 社殿は多数が重要文化財に指定されているほか、6年に一度(7年目に一度)催される御柱祭で知られています。 『古事記』・『先代旧事本紀』では、天照大神の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、 武甕槌命(たけみかづちのみこと)が大国主命に国譲りするように迫ったとされております。 これに対して、大国主命の次男である建御名方命が国譲りに反対し、 武甕槌命に相撲を挑んだが負けてしまい、諏訪まで逃れました。 そして、以後は諏訪から他の土地へ出ないこと、天津神の命に従うことを誓ったとされております。 説話には社を営んだことまでは記されていないが、当社の起源はこの神話にあるといわれております。 なお、この説話は『日本書紀』には記載されてはおりません。 以上はあくまでも神話の域を出ないが、これを基に土着の勢力の上に外から入った神氏によって成立したのが当社であると考えられております。 諏訪一帯の遺跡分布の密度・出土する土器の豪華さは全国でも群を抜いており、当地が繁栄していた様子がうかがわれます。 祭祀が始まった時期は不詳ですが、文献上は『日本書紀』の持統天皇5年(691年)8月に 「信濃須波」の神を祀るというのが初見となっております。 平安時代の『日本三代実録』には「建御名方富命神社」、『左経記』には「須波社」と記載されております。 また『延喜式神名帳』では「信濃国諏訪郡 南方刀美神社二座 名神大」と記載され名神大社に列しておりますが、 この二座が上社・下社を指すとされております。また、信濃国の一宮とされました。 古くから軍神として崇敬され、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に戦勝祈願をしたと伝えられます。 鎌倉時代には「諏訪社」の表記が見られ、また「上宮」・「上社」の記載もあり、この頃には上社・下社に分けられておりました。 なお、治承4年(1180年)が上下社の区別が明示されている初見であります。 他の神社同様、当社も神仏習合により上社・下社に神宮寺が設けられて別当寺(神社を管理する寺)となり、 上社は普賢菩薩・下社は千手観音が本地仏とされました。 上社南方の御射山で行われた御射山祭には鎌倉を始め甲斐・信濃など周辺の武士が参加しました。 それに加えて、軍神としての武士からの崇敬や諏訪氏の鎌倉・京都への出仕により、 今日に見る諏訪信仰の全国への広まりが形成されることとなりました。 また、諏訪両社においても大祝を中心として武士団化が進み、両社間で争いも多く存在しました。 戦国時代に武田信玄が諏訪へ侵攻し、信玄によって永禄8年(1565年)から翌年にかけて上社・下社の祭祀の再興が図られました。 信玄からの崇敬は強く、戦時には「南無諏訪南宮法性上下大明神」の旗印を先頭に諏訪法性兜をかぶって出陣したと伝えられる。 江戸時代に入り、江戸幕府第3代将軍徳川家光によって上社に朱印1,000石・下社に500石が安堵されました。 また高島藩から上社50石(のち100石)・下社30石(のち60石)、会津藩主・保科正之から上社100石・下社50石が寄進されました。 明治4年(1871年)に近代社格制度において国幣中社に列し「諏訪神社」を正式名称としました。 その後、明治29年(1896年)に官幣中社、大正5年(1916年)に官幣大社と昇格いたしました。 戦後は神社本庁の別表神社の一社となり、昭和23年(1948年)から他の諏訪神社と区別する必要等により「諏訪大社」の号が用いられております。
祭典名: 
諏訪大社式年造営御柱大祭
備考: 
寅年と申年の6年ごと(7年目ごと)に、樅を山中から切り出し、各社殿の四方に建てて神木とする祭。 諏訪大社の最も重要な祭。御柱と同時に、宝殿の建て替えのため宝殿内の神器の遷座も行われる。
祭典名: 
御神渡
備考: 
冬の諏訪湖の湖面に氷が張り、日中に氷の膨張によって亀裂が走る現象で、特に上社から下社の方向へ走るものに対していう。これは男の神が上社から女の神のいる下社へ通った跡とされ、神事が諏訪市の八剱神社の宮司によって執り行われる。
地図の設定
緯度: 
36.0238687
経度: 
138.1180790

水無神社

よみ: 
みなしじんじゃ
備考・キャッチ: 
飛騨国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
御歳大神(水無神)
創建: 
不詳
住所: 
岐阜県高山市一之宮町一之宮字石原5323番
詳細情報
由緒: 
創建の年代は不詳でありますが、清和天皇の時代に従五位上の神階の記事が存在しています。 『延喜式』では小社に列格し、飛騨国の一宮とされました。 鎌倉時代には「水無大菩薩」と称し、社僧が奉仕いたしました。 近世には水無大明神・水無八幡宮と称しました。 戦国時代の戦乱で祭祀が途絶え、附近の寺が管理したが、元禄年間から吉田神道系の神職が奉仕するようになりました。 1773年(安永2年)の安永騒動(大原騒動)では、水無神社が農民の決起集会の場所となります。 その事により、神主4人が捕らえられ、磔にされてしまいました。 明治4年に国幣小社に列格いたしました。 明治7年から10年までは、島崎藤村の父で『夜明け前』の主人公・青山半蔵のモデルとなった島崎正樹が宮司を務めておりました。 1945年8月21日から同年9月19日までの間、熱田神宮の神体(天叢雲剣)が一時避難しておりました。
祭典名: 
歳旦祭
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
節分祭
月: 
2月
日: 
2日
祭典名: 
飛騨生きびな祭り、養蚕祭
月: 
4月
日: 
3日
祭典名: 
例祭
月: 
5月
日: 
1日
月: 
5月
日: 
2日
祭典名: 
大祓
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
奥宮祭
月: 
7月
地図の設定
緯度: 
36.0831944
経度: 
137.2390833

南宮大社

よみ: 
なんぐうたいしゃ
備考・キャッチ: 
美濃国一宮
基本情報
祭神: 
創建: 
崇神天皇年間
住所: 
岐阜県不破郡垂井町宮代1734番の1
電話番号: 
0584-22-1225
URL: 
http://www.nangu-san.com/
詳細情報
由緒: 
社伝では、崇神天皇の時代に創建されたとされます。 岐阜県西部、南宮山の山麓に鎮座しております。 「国府の南に位置する宮」として「南宮」を名乗るようになったとされます。 鉱山を司どる神である金山彦命を祭神としており、全国の鉱山・金属業の総本宮として古くから信仰を集めております。 境内には江戸時代の遺構18棟が残っており、国の重要文化財に指定されています。 平安時代中期の『延喜式神名帳』には「美濃国不破郡 仲山金山彦神社」と記載され名神大社に列しています。 また、美濃国一宮とされました。 1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いで焼失しましたが、1642年に徳川家光が再建いたしました。 1868年、神仏分離により神宮寺が分離移転しました(現 朝倉山真禅院)。 近代社格制度のもとで、1871年に「南宮神社」として国幣中社に列し、1925年に国幣大社に昇格いたしました。 戦後、「南宮大社」と改称しました。
祭典名: 
節分祭
月: 
2月
祭典名: 
御田植祭
月: 
5月
日: 
4日
祭典名: 
例大祭
月: 
5月
日: 
5日
備考: 
神行式、蛇山神事、還幸舞などの「南宮の神事芸能」:重要無形民俗文化財に指定。
祭典名: 
茅の輪くぐり(夏越の大祓式)
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
ふいご祭(金山祭)
月: 
11月
日: 
8日
地図の設定
緯度: 
35.3609935
経度: 
136.5253024

鹿島神宮

よみ: 
かしまじんぐう
備考・キャッチ: 
常陸国一宮
基本情報
祭神: 
創建: 
神武天皇元年
住所: 
茨城県鹿嶋市宮中2306番1
電話番号: 
0299-82-1209
URL: 
http://www.kashimajingu.jp/wp/
詳細情報
由緒: 
茨城県南東部、北浦と鹿島灘に挟まれた鹿島台地上に鎮座しております。 伊勢神宮・香取神宮とともに、明治維新前に「神宮」を名称に使用していた三社のうちの一社にあたります。 祭神の武甕槌神は、経津主神(香取神宮祭神)とともに天孫降臨に先立って国土を平定したとされる武神であります。 当社は、現在も宮中で行われている1月元旦の「四方拝」で遥拝される1社であり、 香取神宮とともに古代朝廷が東国を治めるにあたって蝦夷に対する前線基地として重要視されました。 両神宮とも古来より軍神としての性格が強く、武術の道場には「鹿島大明神」「香取大明神」と書かれた2軸の掛軸が対になって掲げられていることが多くあります。 国宝の直刀を所蔵するほか、境内は国の史跡に、本殿・拝殿・楼門など7棟が国の重要文化財に指定されております。 楼門は日本三大楼門の1つにも数えられ、そのほか、鹿を神の使いとすることでも知られております。
祭典名: 
歳旦祭
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
元始祭
月: 
1月
日: 
3日
祭典名: 
白馬祭
月: 
1月
日: 
7日
祭典名: 
節分祭
月: 
2月
備考: 
節分
祭典名: 
紀元祭
月: 
2月
日: 
11日
祭典名: 
祈年祭
月: 
2月
日: 
17日
祭典名: 
祭頭祭
月: 
3月
日: 
9日
祭典名: 
春季祭
月: 
3月
日: 
9日
祭典名: 
春分祭 祖霊社春分祭
備考: 
春分の日
祭典名: 
奥宮春祭
月: 
4月
日: 
1日
祭典名: 
境内摂末社春祭
月: 
4月
日: 
2日
祭典名: 
跡宮春祭
月: 
4月
日: 
3日
祭典名: 
坂戸、沼尾社春祭
月: 
4月
日: 
4日
祭典名: 
境外末社春祭
月: 
4月
日: 
5日
祭典名: 
境外摂末社春祭
月: 
4月
日: 
6日
祭典名: 
息栖神社春の例祭
月: 
4月
日: 
14日
祭典名: 
御田植祭、流鏑馬神事
月: 
5月
日: 
1日
祭典名: 
夏越祓
備考: 
旧6月29日
祭典名: 
大祓式
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
式年大祭御船祭
月: 
9月
備考: 
午年のみ
祭典名: 
例祭
月: 
9月
日: 
1日
祭典名: 
提灯祭
月: 
9月
日: 
1日
祭典名: 
神幸祭
月: 
9月
日: 
1日
祭典名: 
行宮祭
月: 
9月
日: 
2日
祭典名: 
還幸祭
月: 
9月
日: 
2日
祭典名: 
祖霊社合祀祭
備考: 
秋分の日前日
祭典名: 
秋分祭 祖霊社大祭
備考: 
秋分の日
祭典名: 
神嘗祭当日祭
月: 
10月
日: 
17日
祭典名: 
奥宮秋祭
月: 
11月
日: 
1日
祭典名: 
境内摂末社秋祭
月: 
11月
日: 
2日
祭典名: 
明治祭
月: 
11月
日: 
3日
祭典名: 
相撲祭
月: 
11月
日: 
3日
祭典名: 
跡宮秋祭
月: 
11月
日: 
3日
祭典名: 
坂戸、沼尾社秋祭
月: 
11月
日: 
4日
祭典名: 
境外末社秋祭
月: 
11月
日: 
5日
祭典名: 
境外末社秋祭
月: 
11月
日: 
6日
祭典名: 
息栖神社祭
月: 
11月
日: 
13日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
祭典名: 
宮贄祭
月: 
12月
日: 
20日
祭典名: 
天長祭
月: 
12月
日: 
23日
祭典名: 
大祓式 除夜式
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
35.9683305
経度: 
140.6300336

香取神宮

よみ: 
かとりじんぐう
備考・キャッチ: 
下総国一宮
基本情報
祭神: 
創建: 
神武天皇18年
住所: 
千葉県香取市香取1697番
電話番号: 
0478-57-3211
URL: 
http://www.katori-jingu.or.jp/
詳細情報
由緒: 
創建は神武天皇18年と伝えられています。 『常陸国風土記』によると、神代の時代に肥後国造の一族だった多氏が上総国に上陸し、開拓をしつつ常陸国に勢力を伸ばし、 この際に出雲国の拓殖氏族によって農耕神として祀られたものが、香取神宮の起源とされております。 しかし、創建年が古すぎるとの異論も存在します。。 大化5年(645年)には、香取神郡が設けられたが、当時神郡(神領)を持ったのは伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社のみでありました。 平安時代中期の『延喜式神名帳』には「下総国香取郡 香取神宮」と記載され名神大社に列しました。 同帳によると、当時「神宮」の称号で呼ばれたのは、神郡同様に伊勢・鹿島・香取の三社のみでありました。 中世においては、香取海での「浦・海夫・関」の支配権を握ることになります。 中臣氏が常総地方の出身であったため、中臣氏出身の藤原氏にも篤く信仰されました。 経津主神は武甕槌神とともに春日大社に勧請され、藤原氏の氏神の1柱として祀られております。 神職首座は大宮司、大禰宜といいます。 経津主神の兄(子とも伝えられる)の天苗加命(あめのなえます)の子孫が香取連を名乗り首座となったが、後世大中臣氏が養子に入り相互に重職を世襲いたしました。 明治4年、近代社格制度において官幣大社に列しました。
祭典名: 
歳旦祭並御日供始祭
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
元始祭
月: 
1月
日: 
3日
祭典名: 
昭和天皇祭遙拝式
月: 
1月
日: 
7日
祭典名: 
成人の日祭
月: 
1月
備考: 
第二月曜
祭典名: 
節分祭
月: 
2月
日: 
3日
祭典名: 
御田植祭耕田式
月: 
4月
備考: 
第一土曜
祭典名: 
大祓式
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
香取護国神社秋季大祭
備考: 
彼岸の明け
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
祭典名: 
団碁祭
月: 
12月
日: 
7日
祭典名: 
天長祭
月: 
12月
日: 
23日
祭典名: 
大祓式 除夜式
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
35.8862264
経度: 
140.5290231

氷川神社

よみ: 
ひかわじんじゃ
備考・キャッチ: 
武蔵国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
須佐之男命
祭神: 
祭神(備考): 
櫛名田比売命
祭神: 
祭神(備考): 
大己貴命
創建: 
孝昭天皇3年
住所: 
埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1丁目407
電話番号: 
048-641-0137
URL: 
http://musashiichinomiya-hikawa.or.jp/
詳細情報
由緒: 
当社は社伝によると孝昭天皇3年4月に創建されたとされています。 元々江戸時代中期まであった見沼という沼の畔にあったといい、見沼んの水神を祀っていたと考えられています。 現在の神池は、その見沼の名残とされています。 『延喜式神名帳』には名神大社に列しており、武蔵国の一宮または三宮とされ、崇敬を集めてきました。 明治以降は明治天皇により当社を武蔵国の鎮守・勅祭の社と定められました。また近代社格では官幣大社に列しています。 大宮の氷川神社・中川の中山神社(中氷川神社)・三室の氷川女体神社の三社は男体社・女体社・簸王子社として一体の氷川神社を形成していたとも言われています。 三社は浅間山と冬至の日の出の線上に一直線に並びます。 旧武蔵国足立郡(荒川流域)を中心に200社ほどある氷川神社の総本山とされています。 他の氷川神社と区別して大宮氷川神社とも呼ばれます。 埼玉県周辺の広域より広く崇敬をあつめ、初詣客の参拝者数は全国10位以内に数えられ、連年200万人以上もの人が参拝しています。
祭典名: 
歳旦祭
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
節分祭
月: 
2月
備考: 
節分日
祭典名: 
祈年祭
月: 
2月
日: 
17日
祭典名: 
大祓
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
例大祭
月: 
8月
日: 
1日
祭典名: 
神幸祭
月: 
8月
日: 
2日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
祭典名: 
大祓
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
35.9168693207091
経度: 
139.6298148469415

真清田神社

よみ: 
ますみだじんじゃ
備考・キャッチ: 
尾張国一宮
基本情報
祭神: 
創建: 
神武天皇33年(紀元前628年)
住所: 
愛知県一宮市真清田1丁目2−1
電話番号: 
0586-73-5196
URL: 
http://www.masumida.or.jp/
詳細情報
由緒: 
尾張氏の一部が尾張国中嶋郡に移住した時に、祖神である天火明命を祀ったのが起源と考えられています。 尾張氏は当社を中心に開拓を進め、後に一族の名が国名になり、日本武尊の妃として宮簀媛を出すなど繁栄いたしました。 平安時代の頃からは、尾張国一宮と称されるようになりました。 当社について、阿仏尼の『十六夜日記』に「一の宮といふ社を過ぐる」と記述があります。 また、同市内の大神神社も尾張国一宮を称しております。 戦国時代、のちに森氏に仕えた関成政は、織田信長から正倉院の名香蘭奢待の破片を拝領し、当社に奉納致しました。 昭和40年、御本殿向かって右に摂社として、服織神社が造営され、真清田の御神徳を象徴しております。 又末社としては、境内に神明社、天神社、犬飼社、愛鷹社、愛宕社、厳島社、八龍神社、秋葉社、須佐之男社、 稲荷社、三八稲荷社、神水舎井館(彌都波能賣大神齋)等があります。 御本殿の向かって左には社務所、その北には昭和43年秋に竣功した神楽殿並斎館があり、諸祭事、諸儀式が行われています。 平成5年には境内裏山に別宮三明神社を御造営し、荒魂を御奉齋しています。 当社の鎮座する一宮市は、古くは木曽川の流域に沿っていました。 流域は常に文化の形成に大きな役割を果たし、一宮の発展にも木曽川の恩恵がありました。 今でこそ繊維の街として有名ですが、もともとこの地域は木曽川の灌漑用水による水田地帯として、 清く澄んだ水によって水田を形成していたため、『真清田(ますみだ)』と名付けられたといわれています。 当社の鎮座は、社伝によれば神武天皇33年。 古代悠遠の当国の開拓と日を同じくするものと伝わっております。 当社は、平安時代、国家から国幣の名神大社と認められ、神階は正四位上に叙せられ、 尾張国の一宮として、国司を始め人々の崇敬を集めました。 鎌倉時代には順徳天皇は当社を崇敬され、多数の舞楽面をご奉納になり、現在も重要文化財として当社に保存されています。 江戸時代には、徳川幕府は神領として朱印領333石を奉りました。 また、尾張藩主徳川義直は、寛永8年(1631)に当社の大修理を行う等、崇敬を篤くいたしました。 明治18年には国幣小社、大正3年に国幣中社に列し、皇室国家から厚待遇を受け、 戦後は一宮市の氏神として、一宮市民はもちろん、尾張全体及び近隣からも厚い信仰心を寄せられ今日に至っています。 尚「一宮市」の名称も当社が尾張国一宮であることに由来しており、全国で「一宮」の名称を冠する自治体は1市6町に及びますが市制のひかれている自治体は当社の鎮まります一宮市だけです。 古い御社殿は特有の尾張造りの形式を備えた神社でしたが、昭和20年戦災で焼失してしまいました。 その後、昭和32年に本殿以下諸社殿、同36年に楼門が再興され、 現在は正面参道の楼門を入って正面に拝殿(切妻造)、祭文殿(切妻造)、渡殿(切妻造)、本殿(流造)を連接した 新しい真清田造りの華麗雄大な御社殿となっております。 本殿・渡殿は平成18年に文化庁より国の登録有形文化財に指定されました。 ※祭文殿、拝殿は現在登録申請中
祭典名: 
神楽始祭
月: 
1月
日: 
2日
祭典名: 
短冊祭
月: 
4月
日: 
1日
祭典名: 
歩射神事
月: 
4月
日: 
2日
祭典名: 
例祭日
月: 
4月
日: 
3日
祭典名: 
桃花祭
月: 
4月
日: 
3日
祭典名: 
夏越神事
備考: 
立秋前夜
祭典名: 
太々神楽及駒牽神事
月: 
10月
日: 
15日
地図の設定
緯度: 
35.3072257
経度: 
136.8016578
電話: 
0586-73-5196

大神神社

よみ: 
おおみわじんじゃ
備考・キャッチ: 
尾張国一宮
基本情報
祭神: 
創建: 
不明
住所: 
愛知県一宮市花池二丁目15番28号
電話番号: 
0586-45-5846
兼務社: 
詳細情報
由緒: 
旧称は三輪明神。 旧鎮座地の地名は大和町宮地花池(現在の古宮公園の位置)であり、大和国から移り住んだ人々が創始したともされています。 他に、天火明命(尾張氏の祖神)の十世の孫である大美和都禰命(オオミヤツネノミコト)が祭神であったとする説もあり、 神紋は桜井市の大神神社と同じ三杉であります。 当社が尾張国一宮であるとする説があり、近くには同じく尾張国一宮とされる真清田神社があります。 大神神社の社伝では、大神神社と真清田神社を相殿として一宮としたと伝えております。 当地は熱田社の荘園(熱田庄)であり、毎年旧暦7月7日には熱田社に素麺と蓮を奉納しておりました。 当社が尾張国一宮とされることがあるのは、熱田社との関連であると考えられています。 戦国時代の浅井田宮丸の乱で社殿を焼失して以降荒廃してしまい、神宮寺である薬師寺の境内に遷座した。 明治3年、薬師寺に隣接する現在地に再建され、現在神職は常駐しておらず、市内の大神社の宮司が兼務している。
地図の設定
緯度: 
35.2913717
経度: 
136.7934564

砥鹿神社

よみ: 
とがじんじゃ
備考・キャッチ: 
三河国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
大己貴命
住所: 
愛知県豊川市一宮町西垣内2
電話番号: 
0533-93-2001
URL: 
http://www.togajinja.or.jp/
詳細情報
由緒: 
山麓に里宮(豊川市一宮町)、本宮山(豊川市・岡崎市・新城市の境、海抜789m)の山頂に奥宮(豊川市上長山町)があり、 古代は奥宮のみ存在したが、文武天皇の時代(大宝年間)に里宮を建立したといわれています。  「但馬続風土記」によれば、神代大己貴命は国土を開拓し、諸国を巡幸されてました。 その際、但馬国朝来郡赤淵宮にお移りになって、更に東方三河国に向かわれたとあり、 社伝にはその後命は「本茂山(ほのしげやま)」(本宮山)に留まって、 この山を永く神霊を止め置く所「止所(とが)の地」とされたとあります。 里宮に大神が鎮まるに至った経緯を、「三河国一宮砥鹿大菩薩御縁起」(明応九年)は次のように伝えております。 文武天皇の大宝年間に天皇の病を鎮める為、草鹿砥公宣卿が勅使として 「煙巌山」に使わされました。 公宣卿は三河の山中において道に迷うが、この時出現した老翁の導きにより無事祈願を果たし、 天皇の病も平癒することが出来ました。天皇はこの老翁に礼を尽くすため、再度この地に勅使を使わされました。 公宣卿は再び三河国本茂山に入って老翁と面会し、その望みにより山麓に宮居を定めることとなりました。 その時老翁は衣の袖を抜き取り、宝川の清流に投じましたが、公宣卿はこれを追って山を下り、 山麓辰巳の方の岸辺に留まった袖を 取り上げて、七重の棚を作り七重の注連縄を引廻らして斎き祀ったのでありました。 古くから朝廷の崇敬篤く、文徳天皇嘉祥三年に従五位下とあり、順次神階を進め、貞観十八年には従四位上に至りました。 こうして平安時代には、「延喜式内社」に列せられ、次いで三河国の国司が国内神社に巡拝奉幣する筆頭神社「一之宮」となったのであります。 その後江戸時代に入ってからも周辺藩主の信奉篤く、文政十年に正一位が授けられ、 また明治四年には国幣小社筆頭に列せられました。
祭典名: 
歳旦祭並氏子献穀祭
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
元始祭
月: 
1月
日: 
3日
祭典名: 
田遊祭
月: 
1月
日: 
3日
祭典名: 
弓始祭
月: 
1月
日: 
8日
祭典名: 
初えびす祭
月: 
1月
日: 
10日
祭典名: 
火焚祭
月: 
1月
日: 
15日
祭典名: 
節分祭
月: 
2月
日: 
3日
祭典名: 
火舞祭
月: 
2月
日: 
7日
祭典名: 
祈年祭
月: 
2月
日: 
17日
祭典名: 
崇敬会大祭
月: 
3月
日: 
中旬
備考: 
日曜日
祭典名: 
本宮講春季大祭
月: 
4月
備考: 
第一日曜
祭典名: 
昭和祭並植樹祭
月: 
4月
日: 
29日
祭典名: 
例祭幟立て
月: 
5月
日: 
3日
祭典名: 
献花祭
月: 
5月
日: 
3日
祭典名: 
神御衣奉献祭
月: 
5月
日: 
3日
祭典名: 
宵宮祭
月: 
5月
日: 
3日
祭典名: 
流鏑馬試乗式
月: 
5月
日: 
3日
祭典名: 
流鏑馬祓
月: 
5月
日: 
4日
祭典名: 
例祭
月: 
5月
日: 
4日
祭典名: 
神幸祭
月: 
5月
日: 
4日
祭典名: 
流鏑馬式
月: 
5月
日: 
4日
祭典名: 
少年少女剣道大会
月: 
5月
日: 
5日
祭典名: 
東三河中学高校弓道大会
月: 
5月
日: 
5日
祭典名: 
学童祭
月: 
5月
日: 
5日
祭典名: 
子供の日祭
月: 
5月
日: 
5日
祭典名: 
後鎮祭
月: 
5月
日: 
5日
祭典名: 
茶業振興祈願祭 「お茶まつり」
月: 
6月
備考: 
第二日曜
祭典名: 
夏越大祓式
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
交通安全大祭
月: 
7月
日: 
下旬
祭典名: 
麦秋祭
月: 
7月
日: 
27日
祭典名: 
七夕祭
月: 
8月
日: 
7日
祭典名: 
氏子秋祭
月: 
10月
備考: 
第二日曜
祭典名: 
神嘗祭奉祝祭
月: 
10月
日: 
17日
祭典名: 
七五三詣
月: 
11月
日: 
1日
月: 
11月
日: 
30日
祭典名: 
えびす講大祭
月: 
11月
日: 
20日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
祭典名: 
煤払祭
月: 
12月
日: 
26日
祭典名: 
年越大祓式
月: 
12月
日: 
31日
祭典名: 
除夜祭
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
34.8476809
経度: 
137.4211954

砥鹿神社(本宮山奥宮)

よみ: 
とがじんじゃ
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
大己貴命
住所: 
愛知県豊川市上長山町本宮下4
電話番号: 
0533-93-2057
URL: 
http://www.togajinja.or.jp/
詳細情報
由緒: 
海抜七八九メートルの本宮山(ほんぐうさん)は、神代より大己貴命の神霊が鎮まります霊山であります。 その姿が秀麗で、東三河平野の何処からも拝することが出来る為、古代の人々の崇敬の対象とされてまいりました。 また、御山の頂上を始め山中に横たわる巨巌や杉の巨木の存在は、 神々の鎮まる磐座(いわくら)・磐境(いわさか)として崇められ、宝川を始め御山から平野に流出する幾筋もの渓流は、 稲作の豊かな水源として尊ばれてきました。 大宝年間(701年~704年)には、神託により里へ社殿を造営するに及び、山頂の社(やしろ)を奥宮、 里の社殿を里宮と称し、二所一体の崇敬をあつめるに至るようになります。 今も昔も、大神の御神徳を慕って御山に登拝する人々は年中絶えることがありません。 近年山頂までは自動車での参拝が容易であるが、長山登山口より徒歩にて表参道を登拝する人々は、 休日ともなると数百人を数える。
祭典名: 
宝印祭
月: 
1月
日: 
6日
祭典名: 
粥占祭
月: 
1月
日: 
15日
祭典名: 
例祭
月: 
2月
日: 
6日
祭典名: 
本宮講秋季大祭
月: 
10月
備考: 
最終日曜
地図の設定
緯度: 
34.9057535
経度: 
137.4214992

小國神社(小国神社)

よみ: 
おくにじんじゃ
備考・キャッチ: 
遠江国一宮
基本情報
祭神: 
祭神(備考): 
大己貴命
創建: 
欽明天皇16年
住所: 
静岡県周智郡森町一宮3956−1
電話番号: 
0538-89-7302
URL: 
http://www.okunijinja.or.jp/
詳細情報
由緒: 
創建時期は不明ですが、社伝によれば、欽明天皇16年(555年?)2月18日、 現在地より6kmほど離れた本宮山に神霊が示現したので、勅命によりそこに社殿が造営されたことにはじまります。 なお、このときに正一位の神階が授けられたと社伝にはあるが、 国史での当社の初見である『続日本後紀』承和7年(840年)6月14日条では 「遠江国周智郡の無位の小国天神(中略)に従五位下を授け奉る」と記されています。 六国史終了時の神階は従四位上でありました。 『延喜式神名帳』では小社に列しております。 皇族や武将の信仰が篤く、遠江国一宮として崇敬を受けました。 当社を一宮として記載する史料の最初は、1235年の「当国鎮守小国一宮」という記述であります。 江戸時代には「一宮神社」と称していました。 中世以降、朝廷の衰退により勅使が廃れたが、室町時代、戦国時代を通じて祭祀が途断えることはありませんでした。 元亀3年(1572年)、甲斐の武田信玄が遠江に侵攻した際、当社神職は徳川家康に味方いたしました。 それが縁か、天正3年(1575年)、徳川家康が社殿を再建し、江戸時代に入ってからも歴代の将軍が社殿の造営や営繕、社領の寄進を行っておりました。 明治5年(1873年)に県社に列格し、翌明治6年(1874年)には国幣小社に昇格致しました。
祭典名: 
例祭
月: 
4月
日: 
18日
地図の設定
緯度: 
34.8473523
経度: 
137.8994406
電話: 
0538-89-7302

事任八幡宮

よみ: 
ことのままはちまんぐう
備考・キャッチ: 
遠江国一宮
基本情報
創建: 
成務天皇年間
住所: 
静岡県掛川市八坂642
電話番号: 
0537-27-1690
URL: 
http://www.geocities.jp/kotonomachihime/
詳細情報
由緒: 
創建時期は定かではないが、社伝では成務天皇の治世とされております。 古くは真知乃神(まちのかみ)、任事神社(ままのことじんじゃ)などと呼ばれ、 『延喜式神名帳』には「己等乃麻知神社」と記載されております。 大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東征の折、桓武天皇の勅命によって、 それまで鎮座していたすぐ北側の本宮山から現在地へ遷座させたと伝えられています。 平安時代後期に八幡信仰が広まると、康平5年(1062年)、源頼義が石清水八幡宮から八幡神を勧請し、 日坂八幡宮(にっさかはちまんぐう)や八幡神社(はちまんじんじゃ)とも称されるようになりました。 東海道沿いにあって、難所であった小夜の中山の西側の麓にあたることや、 「ことのまま」の名が「願い事が意のままに叶う」の意味を持つことから、 多くの人が旅の安全や願い事成就を祈るため立ち寄り、また江戸幕府も朱印高百石余りを献上するなど崇敬を集めました。 また古くから多くの書物がこの社のことを記しており、平安時代には清少納言の「枕草子」や多くの和歌、 鎌倉時代には吾妻鏡、江戸時代には十返舎一九の「東海道中膝栗毛」などに「願い事が叶う神社」として登場しております。 明治以降は県社に列し、単に八幡神社と称しましたが、第二次大戦後に「ことのまま」の名を復活させ、事任八幡宮といたしました。
祭典名: 
元旦祭
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
交通安全祈願祭
月: 
1月
日: 
2日
祭典名: 
御焚上祭
月: 
1月
日: 
15日
祭典名: 
節分祭
月: 
2月
日: 
3日
祭典名: 
建国祭
月: 
2月
日: 
11日
祭典名: 
祈年祭
月: 
2月
日: 
17日
祭典名: 
稲荷神社祭
月: 
2月
日: 
17日
祭典名: 
献茶祭
月: 
5月
備考: 
八十八夜
祭典名: 
夏越大祓祭
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
五社神社祭
月: 
9月
日: 
1日
祭典名: 
例大祭
月: 
9月
備考: 
「敬老の日」前3日間(金・土・日)
祭典名: 
十五夜祭
備考: 
旧暦の八月十五日
祭典名: 
金刀比羅神社祭
月: 
10月
日: 
10日
祭典名: 
中酉祭
月: 
11月
備考: 
中酉日
祭典名: 
応神天皇誕生祭
月: 
12月
日: 
14日
祭典名: 
師走大祓祭
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
34.79837624032955
経度: 
138.0754500753808

富士山本宮浅間大社

よみ: 
ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ
備考・キャッチ: 
駿河国一宮
基本情報
祭神(備考): 
浅間大神
創建: 
垂仁天皇3年
住所: 
静岡県富士宮市宮町1番1号
電話番号: 
0544-27-2002
URL: 
http://fuji-hongu.or.jp/sengen/
詳細情報
由緒: 
富士山を神体山として祀る神社で、古来富士信仰の中心地として知られています。 大同元年(806年)建立で東海地方では最古の社であります。 境内は、大きく富士山南麓(富士宮市街地)に位置する本宮と、富士山頂上に位置する奥宮の2つがあります。 境内は広大であり、本宮で約17,000㎡のほか、富士山の8合目以上の約385万㎡が浅間大社の境内であります。 本宮の本殿は徳川家康による造営。 浅間造という独特の神社建築様式で、国の重要文化財に指定されています。 また、本宮境内には富士山の湧水が湧き出している湧玉池があり、国の特別天然記念物に指定されております。 『富嶽之記』(1733年)では、浅間大社の様子を 「是冨士山根本の浅間也、木花開耶姫を祭る、神主大宮司といふ、社僧二十院あり、 境内桜多シ、神の愛木也、社ノ東に垢離場有り」と記しております。 このように木花之佐久夜毘売命を祭神とし、富士氏が当神社の大宮司を務めていました。 社僧や垢離場などが存在し、神仏習合の形態がありました。 祭神の木花之佐久夜毘売命にちなんで桜を御神木とし、境内には約500本もの桜樹が奉納されています。 また社内には木花之佐久夜毘売命を「かぐや姫」とする竹取物語とよく似た話がその縁起として伝わっています。 浅間大社は大宮・村山口登山道の起点に位置するため、富士参詣を対象とした道者坊が存在し、浅間大社の社人たちが富士登山の道者に宿舎を提供しました。これを大宮道者坊といいます。
祭典名: 
初詣・歳旦祭
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
節分祭
月: 
2月
日: 
3日
祭典名: 
初申祭
月: 
4月
備考: 
初申日
祭典名: 
流鏑馬祭
月: 
5月
日: 
5日
月: 
5月
日: 
7日
祭典名: 
大祓式
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
大祓式
月: 
12月
日: 
31日
祭典名: 
富士山開山
月: 
7月
日: 
1日
月: 
9月
日: 
初旬
祭典名: 
御田植祭
月: 
7月
日: 
7日
祭典名: 
富士大宮司家墓前祭
月: 
9月
日: 
26日
祭典名: 
例祭
月: 
11月
日: 
3日
月: 
11月
日: 
5日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
地図の設定
緯度: 
35.22745152575492
経度: 
138.6100490730812

浅間神社

よみ: 
あさまじんじゃ
備考・キャッチ: 
甲斐国一宮
基本情報
創建: 
垂仁天皇8年正月
住所: 
山梨県笛吹市一宮町一の宮1684番
電話番号: 
0553-47-0900
URL: 
http://asamajinja.jp/
詳細情報
由緒: 
社伝では垂仁天皇8年正月に神山の麓(現 摂社山宮神社)に創建され、 貞観7年(865年)旧暦12月9日に現在地に遷座したと伝えられています。 『延喜式神名帳』で名神大社に列格する「甲斐国八代郡 浅間神社」の論社の一社であります。 また、平安時代末期より甲斐国一宮とされたとしています。 ただし、当社の鎮座地は旧山梨郡であることや、他に甲斐国一宮を称する神社もあることから、 名神大社および甲斐国一宮は当社ではないとする説もあります。 『日本三代実録』によれば、貞観6年(864年)の富士山の大噴火を受けて甲斐国でも浅間神を祀ることになり、 翌貞観7年(865年)12月9日(旧暦)に甲斐国八代郡に浅間神社を建てて官社としたとあります。 その後、山梨郡にも同様に浅間神社を建てたと記されており、このことから当社は後に山梨郡に建てられた 浅間神社の後裔であるとする説が有力でありますが、創建時は当地が八代郡内であった可能性もあります。 実際には、山宮は元は神山を祭祀する神社で、甲府盆地の開発が進むとともに里宮に移り、 のち浅間神(木花開耶姫命)の神格が与えられたと考えられています。 当社は武田氏からの崇敬が篤く、関係文書も多く伝わっています。 その頃以降、当社を一宮とする史料や当地にあった「一宮庄」の記載のある文書も見られ、 一般には一宮として崇敬されました。江戸時代に入ってからも江戸幕府から所領を安堵されるなど保護されました。 1871年(明治4年)旧暦5月14日に国幣中社に列格し、戦後は別表神社となりました。
祭典名: 
御田植祭
月: 
6月
日: 
17日
祭典名: 
梅折枝神事
備考: 
陰暦4月第2亥日
祭典名: 
夏越大祓
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
秋季大祭
月: 
10月
日: 
17日
祭典名: 
新嘗祭(新穀感謝祭)
月: 
11月
日: 
23日
祭典名: 
七五三祝祭
月: 
11月
日: 
15日
祭典名: 
大神幸祭
月: 
4月
日: 
15日
祭典名: 
例大祭
月: 
4月
日: 
15日
祭典名: 
追儺祭
月: 
2月
日: 
3日
祭典名: 
紀元祭
月: 
2月
日: 
11日
祭典名: 
祈年祭
月: 
2月
日: 
17日
祭典名: 
山宮神幸祭
備考: 
3月15日前の日曜日
祭典名: 
歳旦祭
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
元始祭
月: 
1月
日: 
3日
祭典名: 
師走大祓・除夜祭
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
35.64749388644728
経度: 
138.6973781886516

鶴岡八幡宮

よみ: 
つるがおかはちまんぐう
備考・キャッチ: 
相模国一宮
基本情報
祭神: 
祭神: 
祭神(備考): 
比売神
祭神: 
創建: 
康平6年(1063年)8月
住所: 
神奈川県鎌倉市雪ノ下二丁目1番31号
電話番号: 
0467-22-0315
URL: 
http://www.hachimangu.or.jp/
詳細情報
由緒: 
康平6年(1063年)8月に河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏2代目の源頼義が、 前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮護国寺(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を 鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まりであります。 永保元年(1081年)2月には河内源氏3代目の源義家(八幡太郎義家)が修復を加えました。 治承4年(1180年)10月、平家打倒の兵を挙げ鎌倉に入った河内源氏後裔の源頼朝は、 12日に宮を現在の地である小林郷北山に遷します。 以後社殿を中心にして、幕府の中枢となる施設を整備していき、建久2年(1191年)に社殿の焼失を機に、 上宮と下宮の体制とし、あらためて石清水八幡宮護国寺を勧請した。 承元2年(1208年)には神宮寺が創建されます。 源頼朝が鎌倉幕府を開いた後は、源義家が勧請した経緯もあり、武家の崇敬を集めました。 鎌倉幕府衰退後は、25の僧坊の数も減少し、一時衰退します。 戦国時代には里見氏により焼き討ちにあうも(鶴岡八幡宮の戦い)、北条氏綱が再建を果たし、 江戸時代に入ると江戸幕府の庇護を受け大規模化が進み、 仁王門、護摩堂、輪蔵、神楽殿、愛染堂、六角堂、観音堂 法華堂、弁天堂等を建築し、 徳川家光の治世に薬師堂、鐘楼、楼門なども建てられました。 また境内には、方五間の多宝大塔、東照宮も存在しました。 江戸幕府崩壊後、慶応4年(1868年)3月13日に 「神主を兼帯していた僧侶に対して還俗する旨の通達」が明治政府から出され、 また明治3年(1870年)に大教宣布がなされると、鶴岡八幡宮においてもいわゆる廃仏毀釈の動きが始まります。 同年中に多宝大塔などの仏堂は破壊され、仏像、仏具、什宝、経典なども破壊・焼却処分されるか散佚しました。 ただし一部は現存し、鎌倉寿福寺、浅草寺、普門院、五島美術館、東京国立博物館に保管されております。 鶴岡八幡宮の場合、これらは神主に改名した十二院の社僧が中心となって行いました。 また、一部残存していた仏堂も、その後の火事で焼失したが、外国人観光客等が撮影した写真やスケッチが残されております。 現在の御本殿は、文政11年(1828)、江戸幕府11代将軍徳川家斉の造営による代表的な江戸建築で、 若宮とともに国の重要文化財に指定されています。 深い杜の緑と鮮やかな御社殿の朱色が調和する境内には源頼朝公、実朝公をお祀りする白旗神社をはじめとする 境内社のほか、 静御前ゆかりの舞殿や段葛が八百年の長い歴史を伝えています。
祭典名: 
歳旦祭
月: 
1月
日: 
1日
祭典名: 
元始祭
月: 
1月
日: 
3日
祭典名: 
手斧始式
月: 
1月
日: 
4日
祭典名: 
除魔神事
月: 
1月
日: 
5日
祭典名: 
左義長神事
月: 
1月
日: 
15日
祭典名: 
節分祭
月: 
2月
日: 
3日
祭典名: 
丸山稲荷社初午祭
月: 
2月
備考: 
初午
祭典名: 
紀元祭
月: 
2月
日: 
11日
祭典名: 
祈年祭
月: 
2月
日: 
17日
祭典名: 
宇佐神宮遙拝式
月: 
3月
日: 
18日
祭典名: 
祖霊社春季例祭
備考: 
春分
祭典名: 
献詠披講式
月: 
3月
日: 
26日
祭典名: 
由比若宮例祭
月: 
4月
日: 
2日
祭典名: 
若宮例祭
月: 
4月
日: 
3日
祭典名: 
丸山稲荷社例祭
月: 
4月
日: 
9日
祭典名: 
旗上弁財天社例祭
月: 
4月
備考: 
初巳
祭典名: 
源頼朝公墓前祭
月: 
4月
日: 
13日
祭典名: 
武内社例祭
月: 
4月
日: 
21日
祭典名: 
菖蒲祭
月: 
5月
日: 
5日
祭典名: 
白旗神社例祭
月: 
5月
日: 
28日
祭典名: 
今宮例祭
月: 
6月
日: 
7日
祭典名: 
蛍放生祭
月: 
6月
日: 
10日
祭典名: 
大祓
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
古神札焼納祭
月: 
6月
日: 
30日
祭典名: 
七夕祭
月: 
7月
日: 
7日
祭典名: 
夏越祭
備考: 
立秋の前日
祭典名: 
立秋祭
備考: 
立秋
祭典名: 
実朝祭
月: 
8月
日: 
9日
祭典名: 
宵宮祭
月: 
9月
日: 
14日
祭典名: 
例大祭
月: 
9月
日: 
15日
祭典名: 
神幸祭
月: 
9月
日: 
15日
祭典名: 
流鏑馬神事
月: 
9月
日: 
16日
祭典名: 
祖霊社秋季例祭
備考: 
秋分
祭典名: 
神嘗祭当日祭
月: 
10月
日: 
17日
祭典名: 
地久祭
月: 
10月
日: 
20日
祭典名: 
白旗神社文墨祭
月: 
10月
日: 
28日
祭典名: 
明治祭
月: 
11月
日: 
3日
祭典名: 
丸山稲荷社火焚祭
月: 
11月
日: 
8日
祭典名: 
七五三祈請祭
月: 
11月
日: 
15日
祭典名: 
新嘗祭
月: 
11月
日: 
23日
祭典名: 
御鎮座記念祭
月: 
12月
日: 
16日
祭典名: 
天長祭
月: 
12月
日: 
23日
祭典名: 
大祓
月: 
12月
日: 
31日
祭典名: 
古神札焼納祭
月: 
12月
日: 
31日
祭典名: 
除夜祭
月: 
12月
日: 
31日
地図の設定
緯度: 
35.32603545090978
経度: 
139.55639470076213
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